今どきっ !!

日々感じたことを書き留めました。老婆心でついつい口を突いて出た言葉。
おばちゃんならではの余計なお世話と言うのか

Column

竣工検査で現場に着いたのは時間の40分も前の9時だ。
玄関には今日予定の(再検査らしい)施主検査の方々が勢ぞろいしていた。
建築の人に「これから給水検査です宜しくお願いいたします」と挨拶をして中に入ろうとした・・・
「一歩も入ったらダメダ!」 え〜〜〜〜〜〜
そう言えばコノ人か・・・
別の会社が申請に必要な書類をコピーさせてもらいに行ったところ「元請から何も聞いていない」ので中に入れてもらえないと困っていたことがあった。
この監督のせいでこの現場の雰囲気はきわめて悪いと感じた。監督が「オイ何か聞いているか?」
聞いているに決まってる。建築の人たちは無言だ・・・
「困ったな!もうじき水道局の方がいらっしゃいますよ・・・わかりました」腹が立ったのでキッパリと言った。
検査の準備で掛け釣り回っている元請のお兄さんのケイタイに電話して見る・・・
忙しく各住戸の栓番シールを貼る作業の途中だったようだが降りて来てくれた。
「今日検査しなかったらずっと後になりますよ」「・・・・・」
お兄さんはこれ以上言ってもダメと判断したようだ。こちらに向かって「いいよやろう」と言う。
私ももう時間が無い「栓番だけは貼ってないと検査にならない。急いで貼って!!」といっている内に検査官たちが時間よりも早くやってきた。
もうやるしかない。私たちは変な監督の前を検査官を案内して中へ入った。
変な監督はもう何も言わない。それどころか施主がやってきて急にヘコヘコしている。
こんな奴が頭の現場だから部下たちの顔にも笑顔が無く、下請けの職人たちも沈んで居る。
書類のコピー1枚で2時間ものタイムロスだ。もし今日の検査がどうしてもダメならどうなったか・・・?
「判りました・・・じゃ水が出なくていいんですね」と中止にすればよかったかな。
日頃そんな扱いをされているその場にいた皆さんはきっと気持ちよかっただろうな〜〜と会社に帰ってから思った。

昨日のこといつものようにマイカー通勤の私はマンションの駐車場のある1階に下りたところ、正面から若い警察官(私はつい巡査と言ってしまうが・・・)が歩いてきた。
すれ違いざま当然「おはようございます」との掛け合いがあると思った私は顔を見ても知らん顔で通り過ぎようとする警官に朝からムカついてしまい思い切り大きな声で「おはようございます」と言ってしまった。その返事は蚊の無くような小さな声でぼそぼそぼそと・・・車を運転しながら息子と同じ年恰好の青年にもう一言言っておけばよかったと後悔した。
警察官といえば私の認識だと文武両道を兼ね備えており相手を威嚇するくらい鋭い眼光の持ち主で、いわゆる今時の若者とは一緒ではないはず。
 そしてそんな折りしも今日は月一の検診日で大学病院の主治医が不在で代理のS先生が診察に当たってくれた。そのことは先月から先生に聞いていて知っていたが代理のS先生は代理であることを私に告げ、過去のカルテを全て読み直して「あ〜〜思い出しました」と私のことも覚えていてくれていたようだ。
先ほどの巡査とは打って変わって、大きな声でテキパキと何役もの任務をこなしていて「やればできるではないか!」と言いたくなった。
と言うのも土曜日は特に会社勤めの人たちで待合所は簡易イスをいくつも使うくらい込み合って2時間は平気で待たせる。最初のうちは短気な私は「これじゃ別の病気になってしまう」とイライラしたものだが、最近は歳をとったせいか自分ばかりじゃないんだからとあきらめていた。
やっぱり以前にも感じたことだが自分の病院だったら「こんなにお待たせして悪いですね」といった気持ちから、いたわりの言葉も出てくるはず。大きな病院だからとあきらめていた。
今日のS先生も若いし、組織の中でずっとこのスタイルを持続していくことが出来るのか少々の不安は残るが一患者としては弱者に優しく接してくれることこそ治癒につながると想うのだが・・・。

今日は会社のフミさんは朝から道路の復旧現場に出向いたり申請と検査の申し込み等で飛び回っていた。
そんな彼女から電話が入り 「水圧の写真でイチャモンつけられた。社長に呼び出しがあるかもしれない。でも大丈夫!」と・・・
日頃から何かとうるさい「アノヒトに違いない」と直感した案の定昼過ぎに目を腫らしながら帰ってきた。入れ違いに社長は出掛けて行った。
会社の名前を書き間違えたの?と聞いてみた。彼女は堰を切ったようにしゃべりだした。
全部聞き終えてもやっぱり向こうが一方的に悪くしかも「ごめん」じゃすまない!
写真に写ったテスターの種類はいくつも在るのに、うちの会社が不正をして写真を撮ったと言い「写真の撮りなおしじゃ済まないよ」と・・・
 写真の件は写した本人がテスターを持参して誤解であることは証明できたが、彼女は収まらなかった。私も同様の思いは経験済みで帰りの車中で「フザケンジャないわよー!!」といきり立って交差点で曲がり損ねたこともある。当然だと思った。
ので・・・
こんな時はそうだ 「私に言って、ダメなら課長、それでもダメなら・・・」 と言ってくれたあのお方に聞いてみよう と受話器をとっていた。
電話の向こうで温厚そうなそのお方に私は「お聞きになられましたか?苦情はどなたにしたらよろしいでしょうか」 私も興奮して声が上ずったが・・・。
「そういうことは課長に言った方がいいでしょう代わりましょうか?隣に居りますよ」・・・
私はそこまで準備できていなかったので、我に返り「ちょっとお待ちください」 と言い電話を間違えて切ってしまった。
 暫らくして当の本人(明らかにわたしより年上)から電話が入り テスターの使い方のことなど私が聞いても筋違いの内容を延々とあっちのペースでしゃべってから「窓口に来られた女の人にもオアヤマリしたのですが・・・」といつもと全く違った変な敬語を使っていた。
私はしゃべりたくても、まるで自分の事のように興奮していて泣きそうになって声が出ないでいた。
「彼女は今も涙が止まらないです。」「スイマセンデシタ・・・どうぞヨロシクお願いいたします」
「わかりました。また掛けなおします」と言って私は電話を切った。
あ〜〜明日は何がおこるのかしら・・・。 フ・ア・ン

巷では「姉歯建築設計事務所」の構造計算書偽造のニュースで持ちきりである。
昨日の昼休み同僚のフミさんがニュースのホームページを見ていて机を「バン」と叩いて「やっぱりそうだ!!」と大声で叫んだ。
聞けば白井の設備屋さんから依頼のあった大型マンション2物件が「取り壊し」になると言う。
わが社はすでに図面代も頂いており痛手はない。その設備屋さんは大丈夫だろうか・・・
仕事を持って来たかわいいお姉さんはお嬢さんで初めて大型マンションをすると言って張り切っていた。
私達の仕事は最後の最後に仕上げをする仕事なので、いつも竣工ギリギリまで関わっていることが多い。
出来高で支払って貰っていれば損害は少ないはずなのだが・・・。
 折りしも我が家のお風呂のリフォームが始まる。契約も済ませたが、次から次に改善点が見つかりいろいろと注文が増えた。
結局足を伸ばしてお風呂に入れる大きな物にしたのだが、換気扇のダクトが梁に当りどうしようという話を今さっきしたところだ。
梁を削ると強度が落ちるのでムリ。ここで思い出すのが公団住宅での梁に換気用のダクトを空けて鉄筋を切断する事故のニュースだ。
あの住宅も明け渡して移住する事になったはず。
現場に「プロの職人」が居なくなったのがいけないと思われる。若い頭でっかちの監督にはいつも手こずる。
経験に勝る物はないとこの歳になって益々思うこの頃・・・夫の会社もこの事件で少しは待遇改善してくれることを祈る。

No1   お役所に楯突いた日  2005.7.17

No1

お役所に楯突いた日 2005.2.17
No.2 効率の悪い奴 2005.8.30
No.3 風呂のリフォームとプロの職人 2005.11.23
No.4 中国今時3題 2006.3.10
No.5 今時の若者「甲」「乙」 2006.7.22
No.6 ボケないで!故郷の金婚の父母を思い遣る 2007.6.15
No.7    人生の夕景・・・そして 2007.12.8
No.2  効率の悪い奴  2005.8.30
No.3  風呂のリフォームとプロの職人  2005.11.30
No.4-1  中国トイレ事情  2006.3.10
No.5  今時の若者「甲」「乙」  2006.7.22

バブルの只中の中国を感じた。私達の友人達は皆いろいろ挑戦しては成功した人たちだ。そんな話を熱く語るのは瓦斯の「斯」のスーさんだ。先日100万円ほどの赤字を出して店を閉じたと言い、日本人の若者を過去に2人面倒を見たらしいが物にならなかったと言う。確かに「日本で駄目だから中国にでも行こうか」という奴には勤まらない。今の中国にはチャンスがいっぱいある。そんな彼らと話すのは面白かったし興味深い。わが息子もこの場に居て聞いて欲しかった。郭さんやスーさんの広いマンションも住んでみれば当たり前になり、産まれた時から立派な家の「楽天」ちゃんにはそうでない家の人々はどう映っているのか・・・
 一般市民の行くスーパーに行った。日本のスーパーより個々の置き場の数の多さにびっくりする。ピーナツバターもやはり広い中国のせいなのか一面全てを使っている。パンもケーキもあるがアヒルの干した物や見たことも無い食材も豊富に並んでいる。私は安いので本当はお土産にいっぱい買って帰りたかったのだが・・・。
10年前には「海草石鹸」が流行っていてスーパーに普通に売っていたのでお土産にたくさん買ったのだった。
 2008年にはオリンピックがあるので街を綺麗にすることは必須条件なのだと思うがバブルと言う事はいつかはパンクしてしまうはず。中国で貯金でもして私もバブルのおこぼれをもらおうか・・・

 中国はやっぱり広い。道も橋も門も全てが大きい。橋の入り口には巨大なモニュメントがありそれが素敵だ。
 今回も立派な高速道路は当たり前だが主要道路も4車線もあったりその路側帯には道と同じくらいの広さの緑地が延々とあり郭さんに聞けば公園と言う。見れば若い男女が憩っている。芝生も綺麗に手入れされていてゴミは全く落ちていない。私は普段高速道路等を走るが日本の道は信号で止まる場所はゴミ捨て場のようになっているしガードレールも粉塵で真っ黒になっている。杭州の2`もあるトンネルの中でガードレールを拭き掃除している女性を見た(きっと安い賃金で働いているのだろうと思った)。
 日本が中国より汚いとは誰に話しても信じてもらえそうにないが本当だ。

中国は広い。個人旅行でスルーガイドを伴い隣の街に移動する私達日本人には、果てしない旅になる。
当時高速道路が建設中だった記憶があるが舗装前のその道にはトイレや食堂の類はもちろん無く当地の方々が行く商店にお邪魔する事になる。私は新潟の田舎で古い農家のトイレも知ってはいるが、さすがに忘れかけていた。思い出しても目に染みるあの風景は野原で用を足してもいいかと思うくらいであった。
 もう一つ今度はちゃんとしたレストランでの思い出だが、今でも忘れられない美しい中国美人の微笑がある。食事をしてトイレに行くと個室と思われたそこは便器はあるのだが仕切りが・・・無い「え〜〜〜」・・・
と呆然としている私の横で彼女は当たり前だが普通に用を足している。確かに腰から下には仕切りが在り、しゃがめば全てが見えるわけでは無いから「問題ないでしょ」なのだろうが私も体が早く用を足すように責めてきたので仕方なく挑戦してみたがその時鼻息も掛かるほどの真横の彼女がこちらを見て微笑んでくれたその笑顔とその格好のギャップが今も私の脳裏に鮮明に焼きついてる。

No.4-2  中国道路事情  2006.3.10
No.4-3  中国バブル事情  2006.3.10
中国杭州ショッピングの巻より
No.6 ボケないで!  故郷の金婚の父母を思い遣る  2007.5.5
私達が銀婚式、父母も金婚式・・・子育ても終わりに近づきキャドで図面を描く仕事にも就くことが出来順風満帆だった。
その会社もすでに十年が過ぎ「金一封」を頂いた。
姑は今年80歳になるが社交的で外国旅行も何度も出掛けている。去年も中国に連れ立って行ったばかりだ。
「そうだ、実家の父母と海外旅行に行こう」・・・思い立ったが吉日と旅行会社のカウンターに行ったのは3月の半ばだったと思う。
いきなりのハワイもどうかと思ったが、とんとんと話が進み申し込んでしまった。すでにキャンセル料の発生する40日をきっていた。
その場で父母には連絡を取りパスポートの申請を依頼した。
軽い脳梗塞を起し今でも時々「そうだったっけ?」と物忘れをする母は喜んだが、父は「おやおや・・・」と言ったがパスポートだけは取ると約束してくれた。
その後父親に起こる波乱はその時の私には想像できなかった。たぶん父にも・・・

話は2年前にさかのぼる、いわゆる「シロアリ業者」が家に上がり込んで300万円程の被害に逢ったことは、事が全て済んでから知ったので、どうしようもないと思って大騒ぎをせず諦めた。
しかしこれが更なる今回の事態を引き起こしたらしい。

ちょうどハワイに行く準備をしていた頃、再びシロアリ業者が様子を伺いに訪れたと言う。
父は不用意にも旅行に行くのでその後にしてくれとその場しのぎの返事をしたと言う。
その日から父の心配は日に日に膨らみ続け、最初から乗り気じゃないハワイどころではなくなった。
そして見兼ねた母がハワイ出発の1週間前の日曜の夜電話をくれた。
その後明らかになった事だが父母に縁の下を見せに連れ出しておいて色々と(親戚中の電話番号など)調査して行ったに違いないと言うではないか。心配が心配を生み次から次に増えていった。
最後には夜中に起こされ「全財産が持って行かれたに違いない」「お前達の財産まで無くなったかも知れない」「もうダメだ。もう終わりだ・・・困った」
私ときたら「えーーー!」「どうしよう私のせいで父が狂ってしまった・・・」と思って「大丈夫。分かったいま電話してみる」と言ってはみたが、連休の真ん中銀行は全てお休み・・・しかも真夜中の3時・・・。
直ちに私は必死に父の心が落ち着くように思いつくあらゆる言葉で説明をして、ついには「104」に電話を掛け、銀行の緊急連絡先を聞きつけた。
しかしそこはカードを無くした人が「カード停止」の手続きをする係りだったが、何箇所もの番号に掛けては通じなかった私にとって真夜中の女性の声はありがたかった。
とにかくあわてまくってあちこち掛けたがやはり連休明けの5月6日に窓口に行く他は無かった。結局会社をずっと休むことになってしまい、ハワイに行かなくても最初の予定通りに有給を使うことになった。

それからの半月は無我夢中だった。新潟から帰っても思いつくたびに父の携帯電話に電話を掛けた。
しつこいシロアリ業者には、近所の交番のおまわりさんの助言もあり「内容証明郵便」を送ってこちらの意思表示をした。遠隔操作でモニター付きインターホンも付けてもらった。しかしその後不審な電話が掛かってきているので戦う覚悟をせざるを得ないのかと、降りかかる火の粉の恐怖を感じた。

この一件ですっかり自信をなくした父は、急にあちこちの不調を訴えるようになった。今まで歯医者すら行くのを嫌がっていたのに・・・。
昨年まで病院の送迎バスを運転していた父は、それまで母の運転を見兼ねて畑までの運転手を買って出るほどだったのに・・・しかし今は眼が見えにくく運転は出来ないと言い母の運転の助手席であれこれと指示をしている様子。遠く離れた娘としてはなんとも心配だ。

こんな風に急にやってくるものなのか「人生これで良い」楽しい時はちょっとしか無いものなのだな・・・
辛くてもこれを乗り越えると神様はまた更なる試練を与え、それまでの少しの間の快楽をくれるのだろうか?


自分の親がこんなことになるなんて・・・
まだまだ手に負えなくなったわけではないが症状を考えると、この先の出来事を想像できてしまう。
先週の金曜日会社のみんなとボウリング場から次のレストランに行こうと車に乗り込んだ時だった。
自宅に珍しく居た夫の元に新潟の父から電話があり「今大雪が降っているから、こちらに向かっているなら、引き返すように言って欲しい」・・・と
私は何を言っているのかわからず「とにかく電話してみる」と言い掛けて見た所、私が来ると待っていたようだ。
「今どこにオルノ?<会社だよ>じゃ今日は来ないね!良かった大雪だから引き返すように言おうと思って・・・声聴いたら安心した良かった良かった」
私は回りに人が居るのであまりしゃべらなかったので、どう思ったかなと気になったが、それ以上にもっと気になるあることに気付いた。
その電話の前に近所の人が、指定の袋に入っていなかったゴミを自宅に持ってきたと「村八分になっている」とバカなことを言っていた。
「だから、今は車庫はゴミで一杯だから車で来ても置けないよ!」と言っていたことを思い出した。
几帳面な父はいつも掃除を欠かさず、母は幸せだなぁーなどと我が家とあまりの違いに羨ましくも思った。
そんな父が近所の目が気になってゴミを出さない???
私はどうしても信ずることが出来ずにある結論に至った。
「鬱病」「被害妄想」のたぐいかもしれない。
そう思ってぼんやり今朝のニュース番組を見ていたら「モンスターペイシェント」の話をしていた。
モンスターペイシェントとは医療従事者に暴言を吐く患者のことだそうだ。
これら全ては同じ病「被害妄想」と言う精神病なのかもしれないと思った。
よくニュースに登場する「ゴミ屋敷」の困った住人も、犬や猫を沢山飼っている困ったさんもきっと几帳面な被害妄想を患った人かもしれない。
そう思うと世の中ニュースを面白おかしく報道したい人が作り上げた「悪人」になってしまったかわいそうな患者かもしれない。
両親は今のところまだ話を聞いてくれるので、しばらく様子をみてみていよいよになったら、考えなくてはならず戦いはこれからだ。
それは何時の日か自分にも訪れる人生の夕方・・・・・・悲しいことです。

No.7 人生の夕景・・・そして    2007.12.8