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2008年8月10日(日)
盂蘭盆会 畑を飲込む葛葉山

母が居なくなってから早半年が過ぎた。
毎月通院の父の為糸魚川に通うたびに何らかの私の知らなかった発見がある。
4月頃だったか二階の干し場に、オクラの種が転がっていた。
私はこれを持ち帰り一晩水に浸して、ベランダに植えてみた。
農家の出の母は何でも上手く作ったので「ねえねえ、どうしたらいいの?」と聞きたいことが山ほどあるが、もうそれは叶わない。
今は「インターネット」と言う便利な物があり。さっそく調べながら「鶏糞」なるものを買い発芽させた。
「移植を嫌う」とあったが立派な本葉がたくさん生えてきたので10株程糸魚川の花壇に持っていくことにした。
父はご飯を食べると何もすることも無いので横になって居眠りばかりしている様子。
家の周りには花がいっぱいあるが母の大切な盆栽や球根もほとんどダメにした。
「毎朝、植木に水を遣ってね!!」・・・父は面倒くさそうに生返事だ。
しかしながら先週行った時にはベランダの我が家よりスクスクと育っていて安心した。
母が居なくなり、無趣味の父にはちょうど良かったと我ながら満足だ。

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2008年5月20日(火)
「銀座シグナス」 ライブ で甦る

銀座並木通りに7時半。
会社を5時に出てプリウスを飛ばす・・・
並木通りは夜の美しい蝶たちのご出勤の時間で、私も夫も目の保養になった。
「シグナス」はライブハウスの老舗らしく、壁は有名人のサインで埋め尽くされている。
母を亡くしてからははじめてお会いする荒川さん。マネージャーの桜井さんに予約メールを入れたのも間際になってからだった。
頑張って来て良かったと思った。機知に富んだ荒川さんのトークは止めどなく続き人生のことなど冷静に考えさせられた。
今日は私のために歌ってくださった曲が何曲もあった(と思う)。
泣き虫の私はもちろんだが、荒川さんの目もキラと光ったものを見た。
本当に頑張って行って良かった。夫が是非と誘ってくれなかったら当分行くはずもなかったので夫にも感謝の一日だった。
これからもよろしく・・・「ありがとう!」

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2008年5月2日(金)
満中陰主探して咲く牡丹

 四十九日の時に掃除した庭に、雨の中堂々と咲いている牡丹を見つけた。
私ははっとして思わず涙が出そうになった。
きっとボンヤリしている父は知らなかったのではないか・・・と思うと、ますます悲しくなった。
母の大切にしていた蘭は水を絶やしてしまいダメになっている。
大好きだったアマリリスは軒下の雨があたるので花芽が付いていた。
明日から連休なので皆で山菜採りの名目で父の顔を見に行くつもりだ。
まだまだ当分の間は涙が止まらないようだ。

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2008年3月9日(日)
通夜のタンコブ

母が急逝してもう一ヶ月が経った。
こんなに悲しいのに、辛いのにゆっくり泣いてなんて居られなかった。
次から次にやることはボンヤリとしている父に代わって私と弟でやるしかなかった。
四十九日のはがきを出してようやく横になる時間が出来た気がする。うまく時間が経っているものだ。
母はきっと自分の方が長生きするのだと思っていたに違いない。だって・・・
銀行の通帳も印鑑も、箸茶碗の場所に至るまで探すのに苦労した。何から何まで一人でやっていたので父は面食らっていることだろう。
会社に携帯電話がかかったのは六日の水曜日だった。
私は三日前の日曜には元気な父母に逢っていたので信じられずにオロオロと会社のみんなに言われるままに新幹線に駆け込んだ。
ちょうど介護認定の面接の為行く予定にしていた日が通夜の日になってしまった。
不思議なことが起きた。
「あんな電話」がなければ8日に行く予定だったので、飛んで行くことはしなかったと思う。
しかし私はその電話を切ってから4時間後には糸魚川にいた。
「鈴木さんですか?・・・」それはヤクザ口調の間違い電話だった。
私は「違います」と言い電話を切ったものの、またシロアリ関連の人が私が遠く離れた所に居ることの確認かもしれないと変な空想をしてしまったらもう後戻りができなくなってしまったのだ。
ともかくこの人のお陰で亡くなる三日前の母に逢うことが出来た。
脳梗塞だった。寝ている間に天国に逝ってしまった。
ようやくいろいろしゃべるようになった父がポツリと「お母さんが夜中に誰かが二人の間に寝ている。寒くないのかねーー」と言ったそうだ。父も知らない人らしいのだがきっとおじさんかおじいさんかどなたかがお迎えに来ていたのかもしれないと思った。
台所も冷蔵庫もきれいに掃除がしてあった。
通夜は今流行の「セレモニー会館」でするように母の兄弟達で決めてくれていたし、お寺さんへの電話等も全て済んでいた。
友引を挟んだので母との別れはゆっくり出来たが、通夜と葬儀は細かくスケジュールが組まれていて、弟は父の代理の挨拶の練習までしなくてはならず、私も宿泊室で母との一夜を過ごすことでバタバタと足らなくなったビールの買出しや、帰る人を見送ったりして走り回ってしまった。
そして起こるべくしてコート掛けにつまずいた私は丈夫そうな丸テーブルにおでこをぶつけてしまった。
あんなタンコブ見たこと無い・・・額のど真ん中見る見る膨れてしまった。
赤く内出血すると思われたが色は変わらずに次の日にはタンコブの丘は半分の低さになっていて初めからこんな顔だったかのようにまでなっていた。
そのタンコブは葬儀の後、皆が帰ってから鼻の方に血液と共に下がってきた。会社は18日から出たのだが化粧で隠せるまで回復できた。
これって・・・母があわてんぼうの私に「いい年をして走るんじゃありませんよ!」と注意してくれたのだと夫が教えてくれた。
全くそのとおりです。  南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

2008年1月20日(日)
朽ちる

嫁としての最低限のお正月を過ごし、昨年同様新幹線に飛び乗ったのは3日だった。
家を出て4時間で実家に着く。何とも便利になったものだ。
しかしながら昨年とは全く違った現実を目の当たりにすることとなり、人も大自然の一部であることを実感した。
父は携帯のメールを受け取ることは出来るので「5時には着くからカレーが食べたいな!」とメールした。
カレーなら2・3日食べられると気を遣ったつもりだった。
しかしながら着いた6時にはすでに夕食は済んでいて、私の夕食の準備はしてくれていなかった。「あるものでいいよ!」と冷蔵庫を開けたがスッキリとしていて何も無い。
「え〜〜」と言ったが手土産の「餅」を食べることとなり、心配はそんな両親の変化のことであった。
隅々まで気が付く父だったのに・・・今年はついに年賀状の準備もできなかったらしい。
私は「来た年賀状だけでもコンビニに売っているから出したほうがいいよ」と訴えたが、「勘弁してくれ・・・頼むわ・・・」と・・・私はもうびっくりして
そうか・・・、これはもう病気なんだと自分にいいきかせた。
母は「正月なのにね〜〜」と申し訳なさそうだったが、私を見て「おまん昨日帰ったでしょ!そして又今日来たンかね〜〜」と二ヶ月も前の事と今日の出来事が繋がってしまっていて。その言葉を3度ほど繰り返し聞いてくる。
こんなボケてしまったのか・・・父はいつもこんな母と付き合っていたのかとこの時ハッキリ思った。こんな母を一人置いて買い物も心配なことだったと改めて思い知った。
正月明け、東京に居る弟に介護認定の申請に行ってもらった。弟は事の重大さを感じてはいない様だ。
私がいくら言ってもとんぼ返りの帰郷では症状を確認することも出来ない。
そう言う私も先日が初めてだったので途方にくれてしまったのだが、時間が経って自分が年老いた時に置き換えて考えることが出来た。
私が一人になって買い物も行けなくなって見知らぬ土地で息子の嫁さんに「世話になってすまないね〜〜」「ゴメンネ!」と言いながら遠慮して暮らすのはやはり苦痛かな?とも思う。
実家の真向かいのお医者さんは80歳を過ぎて、大きな敷地を売りに出し、息子の家に行ったと言う。
家など大きくなくてもいいものだ・・・お金など沢山無くてもいいものだ・・・
楽しく大声で笑っていられる家族に囲まれる幸せは「前世の行いのせいだ」とはある人の口癖だがそうだとしたら、父や母が生まれ変わったらきっといい事があるに違いない。きっと・・・

2007年12月23日(日)
ピーちゃん召される

夕べいつものようにベランダから家に入れて玄関に置いてあげた。 
いつも切り株にとまるのが定位置だったピーちゃん・・・ 
えさ箱のある中段の止まり木につかまったままだった。「あれ?」と思ったが気にしなかった・・・ 
土曜日で家に居た長男が両手でピーちゃんを抱えて台所まで連れてきた。 
「足動かないよ!」「えーーー?」 
その2・3日前のことマンションのリフォームで足場を工事の職人達が通るたびにびっくりして墜落していた。私はこのことを家族の前で笑顔で話していたとこのとき長男にたしなめられた。そしてこれが足の怪我に繋がったのかもかも知れないと悔やまれたが後の祭りだった。 

ピーちゃんとは長い付き合いだった。 
大阪から帰ってすぐに、元々居たもう一羽のお婿さんとして貰ったから、14歳の長老になる。 

長男の両手から飛び立ち部屋を一周して私の頭に乗っかった。 
「もう疲れるから戻してあげて」と言って戻したもののお気に入りの切り株は一番てっぺんにあって登れない。何度もトライするが・・・ 
仕方なく一番下でえさを拾って食べている。 
長男が見かねて止まり木を撤去してしまった。なんかかわいそうだったがそうするしかないのかも知れぬと、いつものように風呂敷を掛けて様子を見ることにした。 
私は中々眠れなく寝返りを何度もしていた。台所の方から私の頭の上を何かがばたばたと確かに通って行った。 
「何?何?誰?」私は怖くて布団に包まって眼をつぶった。時計は3時ちょうどだった。 
朝ピーちゃんは冷たくなっていた。 

きっと私の枕元に挨拶に来てから天国に行ったのだと思った。 
昨日まで元気だったのに飛び回ったのに・・・ 
・・・ありがとう・・・さようならピーちゃん

2007年12月8日(土)
人生の夕景・・・それは

自分の親がこんなことになるなんて・・・
まだまだ手に負えなくなったわけではないが症状を考えると、この先の出来事を想像できてしまう。
先週の金曜日会社のみんなとボウリング場から次のレストランに行こうと車に乗り込んだ時だった。
自宅に珍しく居た夫の元に新潟の父から電話があり「今大雪が降っているから、こちらに向かっているなら、引き返すように言って欲しい」・・・と
私は何を言っているのかわからず「とにかく電話してみる」と言い掛けて見た所、私が来ると待っていたようだ。
「今どこにオルノ?<会社だよ>じゃ今日は来ないね!良かった大雪だから引き返すように言おうと思って・・・声聴いたら安心した良かった良かった」
私は回りに人が居るのであまりしゃべらなかったので、どう思ったかなと気になったが、それ以上にもっと気になるあることに気付いた。
その電話の前に近所の人が、指定の袋に入っていなかったゴミを自宅に持ってきたと「村八分になっている」とバカなことを言っていた。
「だから、今は車庫はゴミで一杯だから車で来ても置けないよ!」と言っていたことを思い出した。
几帳面な父はいつも掃除を欠かさず、母は幸せだなぁーなどと我が家とあまりの違いに羨ましくも思った。
そんな父が近所の目が気になってゴミを出さない???
私はどうしても信ずることが出来ずにある結論に至った。
「鬱病」「被害妄想」のたぐいかもしれない。
そう思ってぼんやり今朝のニュース番組を見ていたら「モンスターペイシェント」の話をしていた。
モンスターペイシェントとは医療従事者に暴言を吐く患者のことだそうだ。
これら全ては同じ病「被害妄想」と言う精神病なのかもしれないと思った。
よくニュースに登場する「ゴミ屋敷」の困った住人も、犬や猫を沢山飼っている困ったさんもきっと几帳面な被害妄想を患った人かもしれない。
そう思うと世の中ニュースを面白おかしく報道したい人が作り上げた「悪人」になってしまったかわいそうな患者かもしれない。
両親は今のところまだ話を聞いてくれるので、しばらく様子をみてみていよいよになったら、考えなくてはならず戦いはこれからだ。
それは何時の日か自分にも訪れる人生の夕方・・・・・・悲しいことです。

2007年12月2日(日)
ギックリ - そして・・・ ボウリングと餅つき

ぎっくり腰をしたのはかれこれ3週間程になる。
月曜日の会社で久々の掃除機を掛けていた時だった。
狭い部屋、中腰のまま机の下を直角に右回転した時「ギクッ!」
あまり気にせずに夕方まで過ごしたが色々思い起こせばそこに至るまでの腰の痛みがあった。
夕方ひどく痛み出す前に形成外科に行くと、先生は典型的な「ぎっくり腰」なので二通りの方法を紹介してくれた。
幹部に注射と飲み薬で痛みを抑える。もうひとつはもっとゆっくり様子を見ながら治療する方法だ。
私は迷わず前者の急速な治癒を望み、2回目の診察の時には大分良くなっていた。
社長の腰痛の経験からカイロプラクティックの整骨院にしばらく通って、ほとんど治癒したようだ。
今日自治会の役員なので仕方なく餅つきの手伝いをすることに・・・
私よりずっと年上の老人会の方々が元気なのに驚いた。会う人会う人に「痛めないでね」と中腰の人に声を掛けた。
先週末には会社のボウリング大会だったが、昔のつもりで頑張ったが「ブービー賞」に終わった。
これから先遊び歩きたいなら健康で居なくてはいけないわけで、運動をしなければいけないことを強く思い知った。

2007年11月16日(金)
「不孤」届く

その前の日、ちょうど入社して一年が過ぎようとしている社長の娘と「インターネット句会」の素晴らしさを話したところだった。
週末の金曜日来週すべき山ほどのスケジュールを考えると土曜は会社に出ないといけないかな・・・と悶々としながら帰宅した。
郵便ポストには住宅のチラシと混じって何やら重い書籍が・・・「長男がアマゾンで買ったのかな」と送り主を見もせずにエレベーターに乗り込んだ。
エレベーターの中で「中原徳子」の文字を確認して「来た〜〜!」私は未だ誰も帰っていない部屋に入るや、カバンを放り投げ封を開けた。
そこには私の想像とかなりかけ離れた立派な立派な美しい装丁のされた「不孤」がいた。
やったね!「おきろん」さん
私もいくつもの俳号やハンドルネームがあるように彼女にも素敵な俳号があり、私は「おきろん」さんがしっくりくる。
「不孤」は孔子の「論語」から見つけたそうだ。
   
  「徳不孤 必有隣」 
      (徳ハ孤ナラズ 必ズ隣有リ)

彼女は生まれもった徳を持ち合わせているように思える。
障害者としては恵まれた環境と「あとがき」にかかれていたが、そうさせる明るさと人間性を備えた彼女だからこその応援団なのだと思う。
インターネットの中で饒舌な彼女の言葉を車椅子を押す私には理解できない。この「キーボード」までも彼女を応援しているではないか。

体の自由が奪われ、母を詠んだ句は涙が止まらなかった。

   病む母に林檎を剥いてやれもせず
   役立たず我はそぞろ寒き唇噛む
   月の暈死にゆく者の高いびき
   冷ゆる陰われらここより生まれたり
   秋草や母てふ後ろ盾喪ひぬ
   明易や母が墨磨る気配して
   苦瓜や母のレシピの文字薄れ

彼女は明るい性格で私と同じでお酒をこよなく愛している。
 
   男運なき身軽さの春帽子
   児を寝かす友はさておき冷酒酌む
   見てゐるはカルテばかりや鳥雲に
   水澄みてf分の一のゆらぎかな
   おてんばは転ぶ婆なり蕗のトウ
   安心を形にすれば雪うさぎ
   花は実に大事なときに遅刻する
   かたつむり地球の疵を舐めている

愛すべきおきろんさんは悲しいかな身動きが不自由

   吊蚊帳にさなぎのごとく寝落ちけり
   我を拒むは我にあらずや日雷   
   頸椎症樹氷のやうに痺れゐき
   走れないスキップできない蟻と行く
   秋風や自在に伸びぬ肘二つ
   うぐいすや身体にいいこと何もせず
   太箸やずつと不幸者でゐよう
   一本のルージュも持たず聖五月

まだまだ沢山あるのに力不足のため字が読めないので後はじっくり漢和辞典と格闘しながら詠むことにしよう。
一人でも多くの人に読んでいただきたい 「不孤」

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2007年11月11日(日)
「プリちゃん」納車

2002のアリオンは離れがたかった・・・
待ちに待ったハイブリットカー「プリウス」が
本日、日曜の大安だそうで息子達と迎えに行った。
明日から一人で運転することになっているので少々フ・ア・ン・・・
乗り心地はこれから実感するとして、納車までの期間2ヶ月車検が切れてからは試乗車を代車として貸し出してくれた。
その乗り心地はやはり人様の借り物なので気を遣った。そのところは今日からマイカーになったことで安心して乗れるので嬉しい。
今度こそ少しのキズもつけないように乗りましょうか。

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2007年11月8日(木)
市川が・・・

私が申請を担当した物件がTVに・・・
丁度午後一で承認図を貰う約束を前日にしてあった。
その日の朝天気予報を見ようとHPを開いたらトピックのトップニュースに出ていた。
なんで〜〜と思ったが、工期には影響はなさそうだ。
例の「姉歯設計士の判決」も同じ日のニュースが伝えた。・・・市川市が槍玉か?・・・
約束どおりの時間に現地タワー内の事務所に伺い今朝の報道のことを告げると「大好物だからな・・・」と・・・
我が家もマンションだ。
高齢になった時には便利と思い我家は「マンション派」だ。
地獄地震が来て壊れたらそれまでだし、田舎者の私にとってこの立地には満足している。
市川市の進める事業ではあるが、姉歯事件依頼「建築確認申請」が非常に時間の掛かる審査をすることとなり、依頼のあった申請場所の工事もすこぶる滞っている。
今回シンボル的に槍玉になったようだが、入居を予定している者にとってはたまったものではないな・・・きっと。問題の階数の購入者はキャンセルしたくなったに違いない。私もクレームを申し出ると思う。
地権者はどのように今回の収拾するのだろうか・・・(地元に古くから居た地権者にはそれなりの?怖い人も居る様子・・・。)
ともあれ、時間は止まらない。私は私の時間で申請業務を進めることになるわけで、忙しいことには変わりない・・・・・・・

そんなこんなで・・・
日曜には「プリウス」が来るそうだ  (^○^) 
運転出来るかな???

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2007年10月21日(日)
癒しの山中湖

「仕事上のストレスがピークに来た・」・・・と言えば「死にたい、死にたい」と言いながら格闘している夫に申しし訳ないないのだが、なんせ最年長になってしまったので「辞めます」と言う日まで突っ張るしかない。
 ネット上で見つけた山中湖のペンションに春さんと行くことになり、私の心はすでに心地よかった。
 先に退職した春さんは「癒しオーラ」を常に発していて、いつも私の他愛もない愚痴にも黙って相槌を売ってくれる。
 春さんに聴いてもらいたい話が山ほどあった私は車であちこち動かずにじっくり腰を据えて居たかったので初めて高速バスを利用してみた。
これが山中湖まで直通の上、値段も往復3,000円と安く、なかなかよかった。
 朝8時40分に東京駅のバス乗り場で乗り込み11時過ぎには着いてしまった。(本当は新宿からが正解らしい) いつの時も私が何から何まで準備をする役回りから、旅から帰るとドット疲れてしまう。
 当てもない旅とはこんなに気持ちの良いものだと知らなかった。
山中湖はかなり大きな湖で地図で見ると目指すペンション「モーツアルト」は遥か対岸らしい。
春さんは運動クラブで鍛えているそうだが、私の運動不足を補うのにちょうどよい。
途中色々な発見が・・・
30分くらい歩いたところで山梨県の名物料理「ほうとう」の「小作」発見!  先日社長ご夫婦と行ったお店の支店らしく、さっそく春さんを案内して中へ入ると、お昼前にもかかわらず私達が席に着いた頃には行列が出来ていた。
おいしく「ほうとう」を頂いて、また歩き出すと、道端に「くるみ」を見つけた二人は田舎者同士なので、見過ごすことが出来ずに袋一杯に拾った。紅葉には10日ほど早かったようだ。
こまかい葉のもみじの大木は少し色付いたところで、からまつに絡みついた蔦や「七かまど」の実が赤く色付き美しかった。
ペンションモーツアルトに到着したのは3時前。
木立の中で目立たないがガレ調のガラスのランプが玄関に登る階段の脇で私達を迎えてくれた。
 少し早かったようでピアノのある広間でしばしの休憩の間、一人の青年が熱心にピアノを弾いていた。後でわかったのだが彼はその夜予定されていたコンサートのリハーサルをしていたのだった。
それは長い長いリハーサルでソファでうっとりと聞惚れている私達を気遣って「音は大丈夫ですか?」「ではこれから少し激しい曲を弾きます」と・・・
 何だか今日は朝からずーーーっと付いている気がした。さすが春さんの「神通力」は衰えてはいないと思った。
春さんはペンションは初めてだそうで、私が「洋風の民宿よ!」と教えてあげたが、ホテルを想像していた春さんは少し驚いていたようだ。オーナーに案内されて混みあう前にお風呂に浸かり昼寝でもするつもりでいた。
お風呂は普通のお風呂で、町営の温泉に行くには車が必要だったかなと思ったりした。オーナーは第一印象は「無愛想な学者」だったが、このあとそれは変貌を遂げていくことに・・・
この日はあいにく雲が多くて星空は望めなかったが、その道に精通したオーナーの自前の望遠鏡や星の写真が館内のそこここに飾ってある。数々の小説や書物に登場している「モーツアルト」はお客様もハイクラスのようだった。
私は音楽は嫌いではない。今日は疲労困憊。彼の知り合いや、恩師が女子大生をたくさん連れてきて、クラシックのピアノコンサートは遅くまで続き、私は眼を瞑るとそのまま眠ってしまいそうだった(すみません)。
 朝食後は希望者には樹海にてきのこ狩りにお連れします」
車がない私達ともう一組はオーナーの車に乗ることになり、お世話になったわけで・・・
豹変?したのはそのハンドルを握ったその時からだった。
「元暴走族」とは本人の弁ではあるが、いえいえ未だに現役の暴走族です。かく言う助手席の私も現役ばりばりの暴走族に違いないが、私もびっくりの暴走運転に両手両足を思わず突っ張っていた。
車中話された武勇伝は見かけから想像できず「無愛想な学者」が見事に崩れ去ってTVで見た「ユアサです」と言う人とダブって親しみがわいた。
きのこ狩りがあんなに楽しいとは想像していなかった。
車は富士山須走口五合目駐車場に止まった。よく観光旅行に付き物の土産屋に連れてこられたのかな?と思ったがそうではなかった。
きのこの季節の為か、きのこの本を書いたおじさんがいて皆が採ってきたきのこを選別してくれる。
春さんは長野県人で私は新潟県人。山には親しんでいるが初めての「きのこ狩り」。
春さんはオーナーに付いて沢山のきのこを採っていた。選別の米山さんには「すごい100点!!」といわれていたが、私は写真を撮ったりしていたせいもあり、遅れ気味で前の人が毒キノコと諦めた物など拾って?「お酒飲む?」「ハイ」「じゃダメだ!」と毒キノコとなったものがいくつかあった。
さあーーまた月曜から戦場に向かうのね。

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2007年9月30日(日)
「パツンパツン」 の話

ひょんな出会いの荒川さんのコンサートに揃って行ってきた。
思い起こせば丁度一年前のこのコンサートをきっかけに、この一年間の「追っかけ」活動をすることになったわけで・・・
ライブに行って親しくお話をさせて頂いたりするようになってからはHPの中で会話したりしてより近く感じていたのも事実。
 しかしながら自分でも「なぜこんなに一生懸命なのかしらん?」と思っていた。
最初のコンサートの時のこと。曲名は忘れたが熱唱で歌を歌いきっての一言「わ〜〜気持ちよかった!皆さんも気持ちよかった?」と言われたことがあった。
「これだ!」
そう、これだったのだ。その時の私は会社の嫌なことも忘れて、心からスッキリとして気持ちよかった。
私は大きな声で歌えないのでカラオケに行っても自分のノルマを何とか上手く歌えればホッと安心するタイプ。
しかし本音は違って大きな声で歌手のように上手く歌って皆から「上手いわね〜〜〜」と言われたいといつも思っている。
そして、コンサートで熱唱している荒川さんを自分に置き換えて見ていたことに気付いた。
 今回のコンサートでは荒川さんも同じようなことを話されていて・・・
それが「パツンパツンの話」なのだが・・・
荒川さんは叶姉妹のような大きな胸で背も高く、足も細くて、とても魅力的な正に「熟女」である。
しかしながら私同様に放っておくと脂肪が付きやすいお年頃らしく、お腹周りが気になる・・・。
私がライブで写す写真は山ほどあり、その中からHPなどにお披露目するのはクリヤで美しくて、しかも良い角度に写っているものを選ぶ。
間違ってもお腹がぷっくりの物は選ばない。
コンサートの最後の方で荒川さんがこんなことをしゃべりだした。
「私はパツンパツンでも一向に構わないのよ。森久美さんだって凄いじゃない!でも皆さんが何とかしなさいって言うのよ。今回少しダイエットして、何とかなったかしら・・・。どうも皆さん自分とダブらして私を見てくださっているようで、嫌みたいですね」
そうです。私も荒川さんが美しくしていたら気持ちがいい。ファンとはこういうものなのか・・・
「パツンパツン」という言葉が新鮮だったせいもあり私の中に強く印象に残った。

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2007年9月22日(土)
栗ごはん・・・秋ですねェ〜〜

「栗いっぱい拾ってきた!」・・・「え〜〜〜っ!」
みんなが覗き込んで納得。 
社長が現場の近くの八百屋で買ってきてくれたもので赤いネットの大きな栗だ。
思わず「栗ごはんが食べたい」と思った。
朝から水につけて置いたので、案外うまく剥けたがこれに時間が掛かった。
おはぎを作るつもりでもち米が買ってあったので白米も混ぜておいしく出来た。
しかしながら、土曜の夕餉もバラバラの食卓でいっしょに作ったおでんで一杯すると「ごはんは要らない」と言うに決まってる。
早く帰ってこないかな〜〜〜

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2007年8月15日(水)
父母を想うU

電話では判らなかった・・・
父はやせ細っていた。
電話の向うの声は明るい声に思え、本格的な「鬱」に移行せずに何とか回復したと思っていた。
二晩泊まって、以前ならどこに行くにも同じ車で同行してくれたのだが、今回は「二人で行ってきなさい」とエアコンも無い猛暑の家で留守番をしているという。
帰ってみると少しの汗もかかずに、それでも色々と気遣ってくれる。
少しの間に体重は10キロも減ってしまった。先日まで送迎車を運転していたのに・・・
無くなった私の祖父とダブった。
そう言えば90歳に亡くなったが、まだらボケの状態が長く母が長い間看病していた。
人生はこんなことの繰り返しなんだ・・・そう思った。
母も一生懸命働いて、今の所とは別の高台に土地を買った。
しかしながらその土地も主を持たずに埋もれようとしている。
母が唯一の楽しみにした少しばかりのその畑も7月で軽自動車の廃止によって、奪われてしまった。
私はどうすることも出来ずに見守っていたのだが母が「お父さんが私の車を出したから私寂しいの!!」と訴えてきた。
父の車があるのだが父は運転して畑まで行って野良仕事をする元気が無いようだ(一緒に畑仕事を手伝えば体のためにもいいのに・・・)
私も何かあってからじゃ遅いので75歳の二人に運転を勧めることは出来ない。
 地元に3軒もあったお医者さんが今は全て無くなり、歩いて行ける商店も今は無くなり、父の車で買出しに行く他はないそうだ。
  ・・・・・・・・・・
そうだ・・・私も利用していてとても便利な「生協の個人宅配」はあるのかしら?
「104」番で突き止めて、「お盆の13日電話をしても通じるかしら・・・」と思ったがなんとその日の内に手続きまで全てうまく出来てしまった。
母もこんなのがあったらいいな〜〜と思っていたそうで早速色々利用法を教えてあげた。
幸い「高齢者支援」にあたり色々と面倒を見てもらえそうで、私としては願ったりり叶ったりだ。
全国にはまだまだ援助の必要な老人が沢山居ると思われるが、皆さんはどうして暮らしているのか?遠くに居る娘は心を痛めている。
もう少しの間頑張っていてくれるように祈ることしか出来ない。
   ・・・「どうかもう少し働かせて下さい」

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2007年7月16日(月)
新潟地震・そしてケイタイ

今日は休日(海の日)
第二土曜日が休みになったので3連休の3日目だった。

本当はこの連休には糸魚川の父母の所に行こうと思っていたが、母の実家の法事があって中止になってしまった。
当ても無く部屋の片付けをしていたら今度は80歳になる姑からの電話で電話機が壊れたので買って欲しいと言ってきた。
ちょうど携帯が欲しいと言っていたこともあって「よし新浦安の電気屋で買ってあげよ〜〜うっと」と正に出掛けようとしていた所だった。
「地震だ!」 最初に気付いたのは夫・・・
すぐにTVの字幕スーパーで新潟と判った。しかもこんなに遠いのに長いこと揺れている。大きい地震と判断出来た。
私はここ数年の経験ですぐに電話が掛かりにくくなることを知っていたので、いち早く父の携帯に電話してみたが遅かった・・・
その後固定電話と両方に掛け続けていたら、やっと携帯につながった。
家は古いし、瓦屋根が重く乗っている家なので心配だったが、揺れはひどかったものの、どうやら何事も無かったようだ。
ほっと胸を撫で下ろしたら、もう11時になっていた。
急いで電気屋さんに行ってファックス付きの電話を探した。今は私の好きなシンプルな物が主流だ。チョット前はTV電話だメールだと無駄な機能がたくさん付いていてどれにしたらよいか迷ったものだ。
文字盤が大きくて、音声でいろいろと教えてくれる素晴らしいものを手に入れた。
あら我が家もこれが欲しいわ・・・とちょっぴり思った。
夫は何やら「試験勉強」なので・・・私が一人で首都高をかっ飛ばすことに・・・
長男が取り外しの「カーナビ」を私のためにセットしてくれた。
カーナビなんぞ・・・そんなもん・・・出掛ける前に地図を見て頭に叩き込んだほうが道も覚えるし、第一見ながらじゃ危ないじゃないか・・・とずっと思っていた。
まあボタンを押すだけにセットしてくれていたので押してみた。
「600メートル左斜め前方、合流あり」「交通事故多発地帯にさしかかります」・・・  「見なくても声が出るのか・・・なかなか優れものじゃん・・・」
こうして渋滞にはまってしまい夕方になってしまった。
80歳のおばあちゃんに携帯を教えるのはなかなかたいへんだが、とりあえず一通り教えたつもりだ。さすが好奇心旺盛なおばあちゃんは一応出来るようになった。
近所のラーメン屋さんでおいしい餃子をご馳走になり、帰る時間になってしまった。今度はナビも無く一人で首都高まで辿り着けるか心配だったのだが助手席で見覚えの風景がちらちらして、何とか首都高の入り口まで辿り着けた。
それどころか、バイクのお兄さんと競争でスイスイと止まることなく来た時の半分の時間で帰還出来た。
何だかいくつもの事を遣り遂げた達成感でスッキリの連休最後の日だった。
  
写真は糸魚川の「フッサマグナパーク」の世界の断層の筋が書いてあるプレート

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2007年7月12日(木)
水曜デート 銀座並木通り「シグナス」「鳩ポッポ」

水曜日は始めてになるかしら・・・
荒川和子さんの初の銀座ライブで私達も駆けつけた。
「シグナス」はジャズのライブハウスの老舗と聞いた。
和子さんはノージャンルでもポップスが多く、ジャズクラブと言う事で夕べは英語の歌中心だったようだ。
それでも「愛は陽炎のように」と「イフ・アイ・リーブ」を歌って下さったのは、私が行ったからじゃない?と夫が言ってくれた。
「イフ・アイ・リーブ」は日韓のとても悲しいお話のドラマの主題歌だそうですが、美しいメロディーラインのその曲は荒川さんにぴったりで大好きだ。
ライブハウスは歌の好きな人がじっくり聴いたりまだ無名の歌手を応援してくれる所なのかしらと勝手に思った。
そこの壁にはたくさんの歌手達のサインで埋まっていた。

 11時前に「シグナス」を後にした。
銀座8丁目の交差点に差し掛かった時、夫が「鳩ポッポ」はそこだよ・・・と指差されたそこは結婚する前に何度か来たシャンソンのお店だった。
「え〜〜〜!・・・寄る??・・・」
「大丈夫?・・・」「カードもあるし・・・ちょっとだけなら・・・」と20分ほどだったが散財をしてしまった。
あれもそれもこれも「荒川大明神」のお陰である
また明日から頑張って働かなくっちゃ・・・「パン・パン(柏手)」

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2007年6月29日(金)
竹内まりや「人生の扉」・・・

あっ!・・・荒川和子さんのライブで聴いた曲だ!
♪気が付けば五十路♪・・・なんだっけ・・・
会社に帰ったら丁度お昼休み、YAHOOで検索して曲をつきとめた。
♪「人生の扉」である。しかもプロモーションビデオ付きの曲をすべて聴けるサイトがあった。
しかし手中にしたかったのですぐにアマゾンで購入の依頼をした。
  ・・・・・楽しみ楽しみ!!

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2007年6月15日(金)
故郷の金婚父母を思い遣る

私達が銀婚式、父母も金婚式・・・子育ても終わりに近づきキャドで図面を描く仕事にも就くことが出来順風満帆だった。
その会社もすでに十年が過ぎ「金一封」を頂いた。
姑は今年80歳になるが社交的で外国旅行も何度も出掛けている。去年も中国に連れ立って行ったばかりだ。
「そうだ、実家の父母と海外旅行に行こう」・・・思い立ったが吉日と旅行会社のカウンターに行ったのは3月の半ばだったと思う。
いきなりのハワイもどうかと思ったが、とんとんと話が進み申し込んでしまった。すでにキャンセル料の発生する40日をきっていた。
その場で父母には連絡を取りパスポートの申請を依頼した。
軽い脳梗塞を起し今でも時々「そうだったっけ?」と物忘れをする母は喜んだが、父は「おやおや・・・」と言ったがパスポートだけは取ると約束してくれた。
その後父親に起こる波乱はその時の私には想像できなかった。たぶん父にも・・・

話は2年前にさかのぼる、いわゆる「シロアリ業者」が家に上がり込んで300万円程の被害に逢ったことは、事が全て済んでから知ったので、どうしようもないと思って大騒ぎをせず諦めた。
しかしこれが更なる今回の事態を引き起こしたらしい。

ちょうどハワイに行く準備をしていた頃、再びシロアリ業者が様子を伺いに訪れたと言う。
父は不用意にも旅行に行くのでその後にしてくれとその場しのぎの返事をしたと言う。
その日から父の心配は日に日に膨らみ続け、最初から乗り気じゃないハワイどころではなくなった。
そして見兼ねた母がハワイ出発の1週間前の日曜の夜電話をくれた。
その後明らかになった事だが父母に縁の下を見せに連れ出しておいて色々と(親戚中の電話番号など)調査して行ったに違いないと言うではないか。心配が心配を生み次から次に増えていった。
最後には夜中に起こされ「全財産が持って行かれたに違いない」「お前達の財産まで無くなったかも知れない」「もうダメだ。もう終わりだ・・・困った」
私ときたら「えーーー!」「どうしよう私のせいで父が狂ってしまった・・・」と思って「大丈夫。分かったいま電話してみる」と言ってはみたが、連休の真ん中銀行は全てお休み・・・しかも真夜中の3時・・・。
直ちに私は必死に父の心が落ち着くように思いつくあらゆる言葉で説明をして、ついには「104」に電話を掛け、銀行の緊急連絡先を聞きつけた。
しかしそこはカードを無くした人が「カード停止」の手続きをする係りだったが、何箇所もの番号に掛けては通じなかった私にとって真夜中の女性の声はありがたかった。
とにかくあわてまくってあちこち掛けたがやはり連休明けの5月6日に窓口に行く他は無かった。結局会社をずっと休むことになってしまい、ハワイに行かなくても最初の予定通りに有給を使うことになった。

それからの半月は無我夢中だった。新潟から帰っても思いつくたびに父の携帯電話に電話を掛けた。
しつこいシロアリ業者には、近所の交番のおまわりさんの助言もあり「内容証明郵便」を送ってこちらの意思表示をした。遠隔操作でモニター付きインターホンも付けてもらった。しかしその後不審な電話が掛かってきているので戦う覚悟をせざるを得ないのかと、降りかかる火の粉の恐怖を感じた。

この一件ですっかり自信をなくした父は、急にあちこちの不調を訴えるようになった。今まで歯医者すら行くのを嫌がっていたのに・・・。
昨年まで病院の送迎バスを運転していた父は、それまで母の運転を見兼ねて畑までの運転手を買って出るほどだったのに・・・しかし今は眼が見えにくく運転は出来ないと言い母の運転の助手席であれこれと指示をしている様子。遠く離れた娘としてはなんとも心配だ。

こんな風に急にやってくるものなのか「人生これで良い」楽しい時はちょっとしか無いものなのだな・・・
辛くてもこれを乗り越えると神様はまた更なる試練を与え、それまでの少しの間の快楽をくれるのだろうか?

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2007年6月3日(日)
「曼荼羅」は「鬼の霍乱」

あんなに楽しみにしていたのに・・・
金曜の昼休みライブのために花束を注文した。昼過ぎから急に寒気と喉の痛みがきて何だか心配になったが、準備万端あとはうまく電車に乗るだけ。
和子さんのライブはこれで何回目になるのか・・・
今回子供の子育てグループだった友人ご夫妻もお誘いして4人での参加となり賑やかなことが大好きな私達は金曜の晩を大いに楽しみにしていた。
ライブはいつものようにフェバレットソングを何曲も聞かせてくれ繋ぎのお話も流暢に、あっという間の3時間・・・。
ほんとうなら金曜の晩「次はどこに行こうか」とはしゃぎたくなるところ・・・
たまには品行方正に行くのもいいわ。

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2007年4月23日(月)
ハワイ旅お腹いっぱいもう結構

来週の水曜に予定していた両親とのハワイ旅行を今朝キャンセルした。
父が最初から乗り気じゃなかったのは知っていた。
旅行会社の人も私も行けばきっと喜ぶからと高をくくっていたのだが、ゆうべ遅く母が見かねて電話をくれた。
私が使おうと思って購入した大きなスーツケースは新潟に直送してもらった。
パスポートも何やかんや言ってなかなか行かなかったがようやく準備してくれた。
旅の日程表も出来て、だんだん「ハワイな雰囲気」になってきたところだった。
健康に自信無いのかな・・・ いや・・・先日まで「車の送迎」の仕事をしていた父を「事故を起こしてからじゃ遅いから」と心配するほどだったので、まだまだ現役のはずだった・・・昨日までは。
でも今回のことで寿命を縮めてしまった、と考えると申し訳なかったじゃ済まないな・・。
 昨日は全て上手く行っていて実に良い日曜日だった。
ベランダでは次から次に咲くフリージアを切花にして部屋に飾り、ハワイの夜のレストランはどこにしようかなんて余裕で考えていた。
 私もだんだん歳をとり老眼になってしまったが、そういえば私も自分がこんなに見えなくなるなんて10年前は分からなかった。
今の親の歳になったら少しは分かるようになるかしら?
 準備万端。ハワイは行かなくっても隅々までお勉強してマスターした。
さーーて次はどこに行こうかな〜〜

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2007年4月1日(日)
今日はHPのお誕生日で酔っ葉さくらの開花!

2004年以来丸3年が過ぎた。
♪あんな〜〜こ〜と〜〜
♪こんな〜〜こ〜と〜〜 あ〜〜た〜〜でしょ〜

今朝待ちに待った、エビ鯛で手に入れた「さくらの盆栽」のさくらが見事に咲きだした。
心配したので本当に嬉しい。来年もまた今日のように咲いて欲しいな。

2007年3月31日(土)
行徳署・浦安温泉

昨日は市内を走り回っていた。
神社の境内にある市役所の分室に行くとちょうど桜が見頃だった。
美しいからと写すと毎年同じような写真になるな〜〜・・・歩きながらもう一度見上げるとイチョウの新芽が早々と芽吹いていた。
「そうだ・・・両方を一枚にして写してみよう!」
うんなかなかいい・・・
 行徳署に行くと駐車場は先日の殺人事件の報道陣でいっぱいだった。
動きがないままずっと張り付いているようだが用事で来た一般市民の駐車スペースに入れさせているのはいったいどういうことか?
報道はされていないが、きっと犯人を取り逃がした後ろめたさがあるためなのかと思った。
カメラマン達は皆「パパラッチ」に見えて恐怖を感じた。
 浦安温泉に初めて行ってきた。
珍しく夫と二人だ。新浦安からまっすぐ海に向かって突き当りまで行った。
たしか左に曲がるはず・・・ようやくそれらしいガードマンがこちらからどうぞと案内をしている。
窓を開けて聞いてみた「看板が一個も無かったけど・・・」「はい、市の規制で看板が付けられないので申し訳ありません」と・・・
しかしながらこんなに立派な駐車場も在るのに隠れ家に来たような気分。ワクワクして中に入ると「東京温泉物語」と同じ形態でマッサージや休憩室などがあり、温泉と言うこともあって少し割高になっている。
私はマッサージを頼もうと聞いてみたが2時間待ちと聞いて即諦めて、コインを入れるチェアーに座り「たまにはいいわね」と大満足だった。

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2007年3月30日(金)
花咲いて拡がる句友不思議縁

全く不思議だ。
会ったことも無い遠い大阪のお花屋さんから「桜の盆栽」が送られて来たのは1月の事。
そしてその不思議なお付き合いは一人二人のことではなく、日本全国の人が同じ時間に同時に参加することが出来るのだから・・・
巷ではインターネットを通じて怖ろしい事件も報道されている。
海外の人も参加できるサイトでは日本語を勉強している外国人とも会うことも無く会話が出来てしまう。
これを不思議縁と言わずしてなんと言うのだろうか・・・

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2007年3月18日(日)
初めての高速

先月免許を取った次男坊。
バイトをかいくぐっての糸魚川往復の計画を立てた。
お土産は先日買った額縁に母の絵を入れた物だ。
6時半に出発して外環を経由して関越をスイスイ走り富士山もくっきりと素晴らしい天気・・・のはずだった。
関越と長野の分岐する上里SPで朝食休憩で止まったところ、家から電話があって「糸魚川のお父さんから電話があって吹雪で雪がいっぱいだから引き返すように!」と言っているから電話してみてと言うではないか・・・。
「また雪・・・?」
電話を掛けると「頼むから引き換えしてくれ・・・心配で心配で」「大丈夫と思うけど・・・解ったわよ・・・」
かくして超高い「朝がゆ定食」を食べて11時には家に着いてしまった。
でも無事に帰ることが出来てほっとした。

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2007年3月16日(金)
十周年嬉し恥ずかし祝い膳

正社員として勤めたいと仕事を探した。
子供達がそろそろ手が放れる中学・高校のときだった。
あんなこと〜こんなこと〜と色々と思い出すと、まだまだボケては居られないと気が引き締まる。
社長ご夫婦がホテルで一席設けてくれた。
旅行や病気もしたが、これからもまだ居てもいいらしい。感謝の気持ちを持ってもう少し頑張ってみようかな。

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2007年3月10日(土)
横浜関内デート

いつもながらあわただしく駆けつけて金曜の夜はスタートした。
その日工事が一件入っていた。
朝から始めて道路の復旧を済ませ、4時までに検査の申し込みをするには工事写真をプリントアウトしなければならない。
私は現場に張り付いてフイルムを受け取り30分で出来るカメラ屋さんに泣きついた。
「2本在るけど大至急お願い!」
こうして4時丁度に申し込みを済ませた。
一日の仕事を終え、残業の皆さんを横目に「お先に失礼いたします」と声も小さくなる。
荒川和子さんのライブは8時から始まる。夫は「芝公園」からで私とは別ルートだ。
大体なんでも出来る?のに一人で電車に乗るのはどうしても苦手だ。○○方面が解らず急いでいる時は特に緊張する。
ネットで「乗り換え案内」の時間を調べて拡大したものをしっかり用意したにも関わらずだ。
お陰で夫よりも先に「関内」に着いた。
ライブでは掲示板でやりとりのあった「愛はかげろうのように」を5曲目に歌ってくださった。
大人の雰囲気の漂う空間・・・
先月には「水森亜土」さんがジャズを歌っていたようで楽屋に亜土さんの落書きが残されたとさっき荒川さんのブログに書かれていた。
なんか・・・
人生の分岐点っていくつもあることをこの日も感じた。
   一句
  酔っ払いうまく転んで灯す花

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2007年2月24日(土)
2007.2.24オフ句会

ネットの素晴らしさはここにある。
ネットの中で饒舌な彼女の言葉を理解するのは困難を極める。
 最初に参加したオフ会は全員初対面。それはそれは・・・
掲示板でとことん辛辣なバトルを交わした後で自分の中で妄想が膨らみ美しい人はどんどん美しくなり、嫌な人はとことん嫌な人に仕上がっていく。
2002年銀座にある新潟のお酒が旨いお店だった。俳号で呼び合う仲なので廻りの人にとっては変なグループであることは間違いない。
会を主催するGさんの私の勝手なイメージはルパンに出てくる「次元」でとてもかっこよくスマートだ。
他の皆さんも皆自分なりのイメージを膨らませ、勝手に出来上がった姿を持って会に臨んだ。
不思議なことがおこるもので、イメージどおりの姿で現われたみなさんがそこに居た。
その後の書き込みでわかったことは、顔の見えない掲示板には正直な気持ちや感想が書き込まれるのでリアルに姿が見えるのでは?と言うこと。
PCの向うにはどんな人が居るかなんてあまり考えないが、一行を書き込むのに何時間も掛かる人がいるかも知れず・・・うかつにいろんなことを書き込むと後悔して取り消すことになる。
そして彼女はとうとう「句集」を出版することになった。宣伝パンフを読み進むうちに涙がでてきた。出版のその時はいろんな人に読んでほしいと思う。
私の知らない素晴らしい世界がPCの画面の奥に広がっていることを改めて思い知った。

2007年2月11日(日)
急に思い立って「KONAOさん個展」へ・・・

藤沢は遠かった。
連休2日目。掃除・洗濯・植木の水遣りも早々と済んだ時計は2時半。
夫もテニスから帰って昼寝中・・・
そうだ和子さんの娘さんの「KONAO」さんの個展に行こう!
一人じゃフ・ア・ン・・・暇そうな長男を見つけた。
「明日は車借りるよ」と言っていたからちょうどよい。強引に運転手を頼んで出掛けたが知らない土地で知らない場所はなかなか見つからない。
電話を掛けて聞きながらようやく着いた先は洒落た小さなレストラン。
中に入ると素敵な店長さんが迎えてくれた。すぐに帰るつもりだったが時間が掛かりすぎてとうに夕食の時間に・・・。「ナシゴレン」「ブリのカルパッチョ」など無国籍料理を頂いて、KONAOさんのタイル画を眺めた。
一枚の綺麗な色の絵が見に付いき、さっそくこれを手にいれてた。はるばる来た甲斐があった。
帰りの渋滞は相乗以上でフジTVの脇は工事渋滞で1時間経ても進みそうになく・・・やむなく首都高を迂回してスイスイ帰って来たが、時間は12時を回っていた。満足の一日だった。

2007年2月7日(水)
春近し・・・

酔っ葉さんから送られた盆栽はほんとうに小さく仕立てられていて、我が家の水遣り当番の夫は責任を一手に負ってせっせと霧吹きをしたりで毎朝忙しくなりました。
そして・・・今朝「姫ふうろ草」にかわいいピンクの花が・・・
夫に支えられて元気に咲いてくれました。
問題は桜です。水の加減と日当たり具合が心配です。
どうぞよろしくお願いいたします。

2007年1月28日(日)
母の元気な作品

ホームセンターの額に入れるとそれなりになってしまうのが不思議・・・

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2007年1月28日(日)
立派に変身した母の絵

ホームセンターで額を購入した。770×450の大きなものだ。安いものを探したが、6,220円もした。
節分の絵の方は少し小さいがそれでも600×300(4,290円)母に喜んでもらえるかしら・・・。
さっそく入れてみると絵の下に敷くマットとの色合わせにセンスが問われることに遅まきながら気付いた。
売り場のおじさん(経師屋さんらしい)がうまく教えてくれたはずだったが・・・
言いなりにすればどんどん高いものになっていきそうだった。
ホームセンターは去年私を手こずらせた物件だったがちゃんとたくさんのお客さんがいて安心した。
寄せ植えを乗せるワイヤーで出来たラックを買った。広い居間があったらもっと大きな観葉植物を置きたいのだが・・・。
「ホームセンター大好き」はしばらく続きそうだ。

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2007年1月23日(火)
千葉→三越劇場→会社

朝一番千葉市役所めがけて高速を飛ばした。広い分離帯の水仙が元気に咲いていた。下水の申請を済ませ又高速で会社に戻った。
今日は管材屋さんの招待でお芝居に行く日だった。
本当は会社には行かないでもよかったのかもしれないが・・・
「華岡青洲の妻」以前新橋演舞場で、たしか・・・小手川裕子が演じた。
今回は波乃九里子が熱演した。一緒に行ったフミさんは明るい所で見たら涙の筋が3本程できていた。
役者はやっぱり役者だな〜〜。観客はもちろん廻りの役者もその迫力に巻き込まれ思わずもらい泣きをしてしまう。
姑役の池内淳子、里の母親役に淡路恵子はお二方とも品があってとっても素敵だった。
この管材屋さんが3日半貸切で観客を入れていると言って池内淳子さんが挨拶をした。
素敵な歳のとり方に私も真似が出来たらいいな〜〜と考えている。

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2007年1月20日(土)
新年会

「蕾」の新年会だった。
和太鼓「鬼太鼓座」のコンサートは夕方の5時から2時間余で、その迫力に圧倒された。
私の記憶では新潟の佐渡が拠点だと思っていたのだが、どうやらその後変わったようだ。
「鼓童」も佐渡の出身とのこと、きっと分裂か何かしたのだろう。
どちらも共通するのは「和太鼓」を始めとする和楽器を使ったコンサートと言う事。
夕べは各種大太鼓のほか「琴」「笛」[尺八」「木魚」「剣玉」他にもなにかあったかもしれない・・・
 シーーンと静まり返り真っ暗闇からショーは始まった。
継承の難しい日本の古き良き時代の物が失われていく中メンバーは若手が大半を占めていた。演奏は次第に激しくなりスポットライトの中から太鼓のばちの木屑が雪の様に舞い上がった。若くなくては続かないと思った。
普通のコンサートとは全く違っておしゃべりは無い。2部構成で45分間通しの演奏を終えると無言で垂れ幕を出した「15分の休憩」。
若者の力は無限だ。何でも出来る世の中なのに何にもしない若者も居る。
今日はでっかい声を張り上げたようで気持ちよかった。

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2007年1月19日(金)
・・・・ 「捜索願い」

先週の日曜日のこと・・・
私は年末のインターネット句会の罰ゲームである印鑑をひたすら彫っていた。
夕食を終えそれぞれのするべきことをしていた。
長男は土曜の朝、日帰りの予定で大学時代のクラス会に出掛けていたがメールで帰れなくなったと連絡を最後に
10時を過ぎても帰ってこない。私はあまり気にならなかったのに・・・
折りしもTVでは物騒なバラバラ事件や交通事故のニュースが立て続けに報道されていた。
夕食が出来たときも携帯にかけみたが電源が切られたままの状態だった。
その後何度掛けても繋がらない。夫の冗談が私に火を点けた。
「どこかでバラバラにされてるんじゃないか?」
そう言えばいつもはマメに連絡くれていたし親の車を借りているのにおかしいと思ったら、もう頭は悪い結末で一杯になった。
友人の連絡先を聞いていなかったので聞き覚えのあった2名を「104」で調べたが、あいにく2軒とも珍しい苗字だったが片方は5軒、もう片方は70軒も該当した。
5軒の方は夜分で申し訳なかったが掛けさせてもらったが違ったようだ。
12時を過ぎて心配のボルテージはピークに達した。
「朝まで待つの・・・」「1時?2時?」
どうしよう・・・
私の頭にはボコボコにされて連絡が出来ない息子の絵が・・・。とうとう110番に電話した。
「事件ですか、事故ですか?」
帰らない息子の特徴と車のナンバー、家の電話番号を伝えて受話器を置いた。
5分も経たないうちに帰ってきたではないか。
「まだ1時前だよ!!!いくつだと思ってるの?」「携帯がダメでも電話できるでしょ」
すぐに捜索願を取り消す電話をした。
ほっとした途端
「一人暮らしならいいが、一緒に居るんだから連絡ぐらいしなさい」「25歳だよ」「じゃ、出て行きなさい」「・・・・・」
本当になにごともなくてよかった。
時間は3時を過ぎていた。
目が冴えて黙々と石を彫りそして完成した。

・・・あーーーよかったよかった。

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2007年1月8日(月)
糸魚川に行けば雪女

お客様も帰って部屋を片付けた。
カレンダーを見るとまだ3日もある・・・

「そうだ糸魚川に行ってこよう!!」
  夫は「行ってらっしゃい」と言ってくれた。
  母は「えーーー!!嬉しいねーー」
  父は「混雑のこんな時に来んでもエエワネーー」
母の嬉しそうな声を聴いては居ても立っても居られずに新幹線に駆け込んだ。
夜の7時に着くので駅まで車で来てもらって食事に直行した。
普段あまり外食などしないのでどんどん飲んでもらって私が帰りのハンドルを握った。
なんとびっくり  マニュアルシフトの車だった。2・3回エンストを繰り返し父はあせりまくっている。
私は変な自信があってあまり動じなかったが・・・
そういえば今の車が2002年からなのでもうオートマになってから4年も経っている。無理もないか・・・
驚いているうちにすっかり感覚が戻ってスイスイ運転していた。
 この食事で「孝行」しておいてほんと良かったと思ったのは、あんなに大嵐になるとはその時は感じなかった。
次の日は朝から凄い風が吹いていて、雨があられになって窓に吹きつけ、古い家は揺れた。
近くには糸魚川、笹倉、焼山など温泉がありゆっくり浸かって居たかったが「暴風雪警報」だから・・・
やっぱり家でおいしいものを食べて居た方がいいと父の携帯の機種変更に付き合った。
頑張ってパソコンでもお勉強してくれたらいいのにとはっぱをかけた。
そして3日目の朝、嵐はほとんど治まった頃かえる時間が来てしまった。
母が「由美ちゃんが良いと言ってたから・・・」と絵手紙の延長で書き溜めた大作を私にくれるという。
なんか寂しい気がした・・・
「判ったこれに合う額を探して私が綺麗にして今度持ってくるからね」
と別れ際はやっぱり寂しい。
お花をとおしてご近所の付き合いも多いので退屈はしていないようだしTVで世界旅行するからと言うのだが、今度旅行に行こうね。

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2006年12月29日(金)
初めてのディナーショー
今日は今年の仕事納め・・・
9月にひょんなことから知ることとなった横浜の荒川和子さん。
まさに「出会い」となったコンサートから数えて3度目になる本日は今年最後のディナーショー。
横浜は決して近くではなく、ちょっと行ってくるわ〜〜と行けないのだ。
あちこちのやラウンジで歌をうたっているのでロマンチック?なデートをしょっちゅう聴きたいところ・・・
 念願叶いちょっとおしゃれをして長男に駅まで送ってと頼んだところ、なんと横浜まで送ってくれたので予定の時間より早く着いたので「赤レンガ倉庫」までのデートを愉しむことが出来た。その帰り道ちょうど黄昏時となり夕闇にインターコンチネンタルホテルと観覧車もライトが点き綺麗なベイビューをカメラに収めた。
 そして靴を履き替えていよいよホテルに・・・
リハーサルを終えた荒川さんとお会いした。「あらっ・・きらきらユーミンさん?」覚えていてくださった。何と言う幸運!
私は糸魚川の父母から送られた「新酒」をお土産に持って行った。きっと飲める口かな〜〜〜と・・・
 私達のテーブルは看護婦さんご夫婦、ご主人の同僚のパイロットご夫婦、踊りが大好きな女性のグループ。楽しくショーが終わり、アンコールでは白いドレスの和子さんも一緒になって私達のテーブルの方達と激しく踊る踊る・・・。
私はカメラを回すので、夫だけがスポットライト真ん中でポツンと・・・。
 何年か後には私達もちょっと踊れるようになっていたいものだな・・・と考えさせられた。
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2006年12月15日(金)
ちゃっかり交番の住人

明日はお休み・・・   にしようと思ったがやっぱり出勤だな。
暮れも押し迫り(頭はすっかり来年に)やることが溜まり、自分が大変になって困っているシュミレーションがチラ付く。
会社は社長の娘さんが入り、手伝ってもらって大助かりである。
今日までのトレースの平面図は自宅に持ち帰りやると言い今日は「花金」らしい。
なかなかガッツのある女の子である。
オーストラリアにワーキングホリデーで1年余を過ごし帰ってきた彼女はきっと大きく成長したことだろう。
「若さ」はお金を払っても買えない。やりたいことを我慢して何もせずに過ごしている若者も居るが、遣り繰りをして遊んでいる彼女は輝いてみえる。

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2006年12月5日(火)
イヤリングが・・・、舞浜ホテルの忘年会
早々と忘年会をすることになった。
仕事でお世話になった管理組合の理事長さんの勤め先を紹介していただいた。ディズニーランドの周りのホテルはクリスマスのイルミネーションの競演だ。盛り上がりに欠ける食事の後、社長のグループと分かれ私達はカメラを提げて少し散歩をして帰った。
 そして飲めないフミさんの運転で家まで届けてもらい、そのとき初めてイヤリングが片方しか無いことに気が付いた。先日銀座のデパートで買ったばかりなのに・・・哀しい
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2006年11月26日(日)
二人で一人前だから・・・

先週の日曜にだいぶ使ったケイタイを二人とも機種変更で替えてみた。
仲良しなわけでなく使い方を探りあいながらならと思っておそろいの物にした。
使いこなせないような色々な機能が付いていてどれにしようかずっと迷って迷って最新版ではないものにしたが、それでもカメラも付いていて28インチの大きな画面でなかなかいい形だ。
一週間経ったがメールも字が大きいのでようやくしっくりとしてきた。
 初めて中国に行った時に私達の周りにいた友人達は皆携帯電話を持っていた、おばあちゃんと私は「日本人の私達が持ってないのに凄いわね」と中国の発展を脅威に思ったものだ、
その時に「私が若かったら中国にマンション買うわ。買わない?」とおばあちゃんが言ったことがある。あ〜〜そうしておけばよかった・・・
 昨日病院の検査をすっかり忘れていてわざわざ電話がかかって来た。大病院なのにありがたいとおもったが、予定はカレンダーにきっちり書いておかねば記憶力に自信が持てなくなっている。
どんどん老化現象が・・・
やっぱり同じものにして正解だ。恥ずかしいなんていってられない・・・

2006年11月16日(木)
確か・・・平日だよな昼休み

ジムにすら行けずにモンモンと過ごすことが多いのに・・・
今日は木曜日でっせ・・・
曲芸のように背面すべりを見せたりして・・・
ゆとりの生活を送っている人も居るのよ・・・(ボヤクじゃない)
今日みたいな日は 気持ち好いだろうな〜〜〜
こんなことをしたいとずっと想って働いてきた人かしら。
それとも金持ちのぼんぼんかな〜〜
「ぼやいている暇あったら努力をせんか!!」 「短い人生。なにしとるか!」
2006年は駆け足で去って行く・・・

2006年11月12日(日)
軽井沢のホテル直行バスの旅

こんな旅があるのはだいぶ前にニュースで聞いた記憶はあったが、実は7時10分に集合!とメールのみでどんな乗り物でどんなツアーで行くのかは知らなかった。
新宿西口の都庁のすぐ近く大型バス駐車場が集合場所だった。
9時出発は時間に余裕があるし、 あちこちのホテルへのリピーターのおばちゃん達でごった返していたが、皆三々五々ホテルからの出迎えのバスに吸い込まれていく。
 途中、まだ早いかしら・・・と思っていたら・・・すっかり落葉していたりでどんどん気温が下がっていった。
想像していたホテルと違い広い敷地に山小屋風の造りで赤い三角屋根、白壁に燻された黒い曲線の木肌が美しい建物がいくつもあり園内周遊バスで自由に行き来できる。
 紅葉見物には少し遅かったようだ。今朝早く温泉に行く途中朝日が輝きだし、あわててカメラを取りに戻った。
外に出ると落ち葉にさらさらと音を立て細かい雪が降っている。それは明るい朝日の差す中不思議な光景だった。
今回軽井沢の町まで出掛けようとすると忙しいので園内を散策することにして残りの1時間はまたまた温泉で冷えた体を温めた。
帰りのバスの集合時間は2時15分。ゆっくりと出来るバス旅行。また計画をしてもらおう。

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2006年11月7日(火)
初のライブは「曼荼羅」

「気持ち良さそうでしょ〜♪ 皆さんも気持ちよかった〜〜♪」
和子さんがそう言ったとき、本当に気持ちよかった。
歌手の醍醐味はそこにあるのだと実感した。
 月曜日のライブ、週明けは雑用もありとても無理と思っていたがお誘いもあり、二人ともすっかりファンになっていたので少々の無理をして行って良かった。
昼休み、近所の花屋さんに内容を伝え5時丁度に来るからとお願いした。
6時には東西線に乗れた・・・ハタと気が付けば「え・外苑前ってどうやって行くんだっけ・・・」
夫にメールで確認して一安心・・・
実は(やっぱり)準備万端ではなかったのだ。
外延前のa1出口を出ると夫がいた。ホッとした。そそくさと歩き出し「あれが有名なベルコモンズだよ」と夫が教えてくれた。
そうだカメラ・カメラ・・・
目を疑った 「メモリーカードがありません」の文字が・・・ ガ===ン
しかしながら、もう電気屋さんを探している猶予はない。
程なく曼荼羅の前まで来てしまったので中に入った。ほとんど一番乗り。
あきらめきれずに「SDカードどこか売っている所はないですか?」「ありません」「だよね・・・」
そうこうするうちに7時を過ぎてどっとお客さんが入ってきた。

素敵なライブはこうして始まった。
9月10日のコンサートの時は最後列だったので、オペラグラスを通してのお顔しか見えず、CDの写真とだだ茶豆の時に夫との2ショットと見比べてもどれも皆違うお顔で声を聴いている時は色んな人の顔を思い浮べて聴くしかなく困っていた。
夕べは夢のようだった。和子さんが「だだ茶豆」のことや私のことを話してくれたり、間近でお会いでき、最後はカメラの無い私にマネージャーさんが記念写真をとってくださった。
手元に届く日を首をなが〜〜くして待ちます。
夫曰く「お母さんは会場で3番目くらいに目立っていたよ」と・・・
言われてみれば、一番が和子さん、2番がフロアーでダンスをしていたお客さんそして私???
たしかにカーテンコールの時に花束を持っていくのは夫は苦手なので私よねとは思っていたが・・・しょうがないでしょ!許して。
そしてきっとまた素敵な夜が来ることを祈って・・・

   ♪あなた〜〜〜に逢えてよかった〜〜♪

  

2006年11月5日(日)
おばあちゃんと銀ぶらデート

お昼前におばあちゃんから電話があって「暇してない?銀座でも行かない」
「そ〜〜ね??」と言ったもののホットカーペットを出して片付けがまだ済んでいなかった。
2時に待ち合わせて歩行者天国でにぎわうメイン通りに出た。
骨折以来ちょうど2年になるおばあちゃんが案内してくれる素敵なビルに入った。一通り眺めて出るのはため息ばかり・・・明日のお出かけ用にと買ったスカートの値段とは一桁も違う。
「いいのよここで買わなくても、目の正月よ。似たものを他で探せばいいのよ」と・・・なるほど。
デパートのアクセサリー売り場を覗いた。ちょうど飛行機の中で買ったかわいいペンダントをしていたので店員さんが目ざとく褒めてくれ私が眺めていた綺麗な指輪を勧める。
なんだか金持ちの気分にさせられて買う気も無いのに指にしてみた。
そしてシャネルのお店でおばあちゃんが何やら話しこんでいる。以前おばあちゃんと空港の免税店で買ったシャネルのほほ紅のことで話す内に私も販売員のお姉さんとすっかり打ち解けて2人分のほほ紅を買うことになってしまった。
あ〜〜これで当分ほほ紅はいらないわね・・・
でもお姉さんの持っていた大きな「ブラシ」私も欲しいな・・・7千円だって・・・
 何かちょっとしたものを食べるつもりでふと見上げると「道場六三郎」の文字が・・・「ちょっと覗いてみよう」と行ってみたら「いらっしゃいませ〜〜」と案内されるままランチを食べることになった。
まあランチだし軽めでちょうど良い量だった。
久々にショッピングを愉しんだ。やっぱりおばあちゃんと来ると楽しいわ〜〜

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2006年10月31日(火)
夏のなごり

あまりに美しい色に目が奪われた。
夏中忙しくて散歩もしなかったので花にも目が行っていなかった。
駐車場のすぐそばでお日様をいっぱい浴びて気持ち良さそうに咲いていた。
 「あ〜〜今日はカラッと気持ちがいいな・・・」どこかに遊びに出掛けたいような衝動にかられ周りの花が呼んでくれている気がした。
やりたいことはいっぱいある。愉しまなくては・・・(ボソッ!)

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2006年10月7日(土)
おいどん

先日給水検査を終えたばかりの居酒屋にはるさんと行った。
麻布に本店があるようだが、大きな民家をリフォームしての突貫でわずか1ヶ月の工期しかなくほんとうに出来るのか心配だったが・・・
最初の申請図と全く変わっていて図面訂正をした物件だった。中を覗きながら「なかなか素敵じゃないか・・・一度は来ないとな」などと独り言を言っていたら元請のおじさんが優待券を手に入れてくれた。
「わ〜〜うれしーーー(^^) 」
今日は土曜日急だけどはるさんに電話してみた、願いかなって6時半お店で待ち合わせた。
鹿児島の黒豚のしゃぶしゃぶをコースで戴いた。優待券に付いていた焼酎の無料券を使ってボトルキープなんかしてしまった。
なかなか静かで日本調の庭園(元々あったお庭)を眺めながら普段お酒はあまり飲まないはるさんだが焼酎は家族でブームに為っているらしく、銘柄にもやたら詳しくロックで2杯程飲んでいた。
 私は日ごろのストレス発散とばかりにおしゃべりが止まらない。そばではるさんはうんうんと聴いていてくれる。
あ〜〜はるさんってやっぱり癒しオーラ出てるな〜〜。
急に呼びつけてご主人によろしくね・・・又次も来てね!

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2006年10月15日(日)
故祖父母のお陰で父母弟叔父叔母久々再会

法事というのはきっとこういうものだと体感した。
夫の法事に行っても顔も知らないし名前を何十篇聞いても一向に覚えきれず、なんかしっくり来ないまま帰途に着くことが多い。
今日は違った。
昔懐かしい地元の料理屋さんで席を設けてもらい、ほとんど名前も忘れていた近所の幼馴染のことや、祖父や祖母の口癖などを思い出したりで心から楽しいひとときを送ることが出来た。
 私は孫になるが、叔父や叔母と共通する小さい頃のことをいくつか覚えていてそこから話が大きく大きく広がって夫に言わせると私が一番声が大きかったらしい・・・反省!
 今回嬉しいことがもうひとつ。
往復全行程私は助手席に座れたことはこの上なく楽チンで、カメラを回す時間も持てた。
これからこんな時間がどんどん増えていくのかしら・・・
祖父母に感謝の良い法事で次の33回忌には元気に又全員で集まることを切望したい。

2006年10月7日(土)
魚戯新荷動 鳥散余花落

中国の漢詩で、「遊東田」の中の一節である。
今朝届いたもので、13年もの年月を経てようやく私の元に届いた。
仲人をしてくれた故先生の奥様の作品展で出会って、のどかで平和な雰囲気がよく伝わってくるこの作品がずっと気になっていて何時だったか奥様にお話したことがあった。
伺う度に「忘れていませんよ」と言ってはくれるものの・・・
今回、故先生の23回忌でようやく具体的になり綺麗に表装しなおして送ってくださった。
書道の先生でもある奥様は「いつも気にかけて下さるお礼です」と言って下さり、私もお礼の手紙だけを送ることに決めて早速したためた。
我が家には先生の作品はもうひとつあり、なかなか味わいのある2作品が揃いとても嬉しい。
先日伺った時に部屋には大作の墨絵が掲げられていた。センスの光る素敵な作品だった。
奥の深い趣味で一朝一夕には出来ぬものと思われるが、優雅に堂々として居らして、いつか私も出来たらいいと密かに思ってはいるのだが。

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2006年10月1日(日)
介護する大変さを見た日

先週は秋分の日で第四土曜の通院はかなわず、今日会社を半日休んで行ってきた。
検査を終え戻ってきたら車椅子のお婆ちゃんに大声で話しかけている私と同じくらいの女性が気になった。
「これを飲まないと帰れないのよ!」「おしっこが出ないと困るからどんどん飲んでよ!」と怒鳴っているように聞こえ、かわいそうに思って聴いていたが・・・
延々と怒鳴っているので聴きたくなくても聞こえてくるので聴いていると、尿検査で尿が出ずしかもおしめをしているようだ。
それにしても女性としての心遣いに欠けているかもしれない、ちょっと陰に行ってから叫んでもいいのにと思った、一時が万事家に帰ってもきっとこんな感じなのかな。
朝から来ていてお婆ちゃんは帰りたくなったようで、無理な催促をしているのかもしれないし、せっかく溜まったおしっこをおしめの中でしちゃうかもしれない。
介護はするのもされるのも大変だ。誰しもなりたくてなっている人はいないが、日ごろからボケないように努力はしようと思った。

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2006年9月18日(月)
台風一過の夕焼け空

今日は「敬老の日」休日。
義妹の舅の通夜があった。

狭い部屋の片付けにフーフー言う私は、大豪邸の主にはなれぬと自覚するが夢は常に姫である。
又忙しい一週間が始まるのか・・・
それにしても今日の夕日は綺麗だったなぁ〜

2006年9月10日(土)
荒川和子コンサートin関内ホール

それは突然やってきた。
夫婦とは言えお互い普段の会社での行動範囲は皆目判らない。
ある日「CD」と「駄々茶豆」を紙のお皿に入れて酔っ払って帰ってきた。
後で聞けば、行きつけの「一杯飲み屋」で山形県の農協の方と一緒に飲んだのが始まりらしい。
その時に物産展をやるので是非に来て欲しいと言われ同僚と出掛けたらしい。
律儀に出掛けたのには訳があり、一杯飲み屋で名詞を交わした同僚の所に「メロン」が2個送られて来たとひとつを貰ってきたから、行かないわけにも行かず台風の中出掛けたらしい。
 そこで出会ったのが「荒川和子さん」なのである。
私はそこに居たわけではないので状況は判らないがとにかく台風で中止にするか迷ったくらいだったので、観客は少なかったようでショーが終わって荒川さんがテーブルに来て一緒に飲んだそうだ。
それで嬉しくなって?CDを買って興奮して帰って来るなりHPを開けと・・・。
そんなこんなで、たまにCDをかけて素晴らしい歌声を聴いていた。その続きがこのコンサートである。
 横浜の夜は短かったがこの次はホテルのラウンジにお邪魔してカクテルなど飲みながら・・・ 
 

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2006年9月9日(土)
チーズケーキ1個のカロリー

今日は第二土曜日。
「ジムに行かなくっては」・・・半ば脅迫に似た感覚に押されて出掛けた。
バイクを30分乗った。後半汗がダラダラ出て終了と共に画面には励ましの消費カロリーが出る。
「チーズケーキ1個分のカロリーが消費されました」
私の目の前にはサティーに新しく開店したケーキ屋さんのチーズケーキがチラついた。
その後腕腰腹筋を鍛えてサウナにも入ってみた。12分計が一周したころやっぱり汗が見る見る噴出した。
土曜の朝は空いていていいなあぁと思いながら身支度をして駐車場へ行く途中には「マクドナルド」やケーキ屋さんがある。
さっきのチーズケーキが頭から離れない。マクドナルドは通り過ぎたのに・・・
かくして一人2個ずつのチーズケーキは又私のカロリーに戻ってしまったのだった。
あのメッセージは逆効果だーーー まったく・・・
秋の衣替えまでにと思ったが間に合いそうもないなーー困った!

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2006年8月29日(火)
踏まれてもどっこい開花背伸びして

市営住宅の皆が通る小道のインターロッキングの隙間から小さな黄色い花がけなげに咲いていた。
それでもなるべく高い所で咲きたかったらしく針金のような細い茎を思い切り背伸びしている。
 「何事も一生懸命頑張れば実を結ぶのよ」と言わんばかりに私を引き止めた。
よくも今日まで踏みつけられずに居たものだ。
人生悪いことばかりも続かぬものだし、その逆も又・・・
 汗を拭きながら「お前さんもやっと花開いたのか・・・」などとパチリ、スポットライトを当ててあげましょう。
私のスポットライトはもう済んだのか、はたまたこれから華々しくお披露目の日が来るのかしら・・・
いつも何かを期待しては現実は思い通りにならずに今まで来ている。
こんな小さな花が、今年のテーマ「キンキラキンにさりげなく」を思い出させてくれた。
 会社に戻ると又次から次に申請の依頼が届いているありがたいやら悲しいやら・・・
あ〜〜テーマテーマ「キンキラキンにさりげなく」忘れないようにしなくては。

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2006年8月21日(月)
三角に襟跡くっきり土方焼け

今日は市の外れにある市営住宅の水道メーターの取替え工事の監督だ。
200戸以上もあったが、トラブル発生で職人の手配に奔走した。
職人を待つ間、見上げればたくさんのセミが羽を休めている。あたり一面梨畑で今年はセミが多い気がする。
セミこそ短い一生なんだな〜  先日長男が羽化途中のセミを持ち帰った事件を思い出した。
セミはうまく羽を広げることが出来ずにかわいそうなことをした。長男は動植物を愛し、私よりもっと後味が悪かったらしくその後そのことは口にしない。
まあいろいろあったがそろそろ夏も終わろうとしている。

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2006年8月19日(土)
新宿の豪邸から練馬のマンションへ・・・

私たちの仲人である夫の恩師が23回忌となり二人でお線香だけでもと思い出掛けた。
毎年お正月には家族皆で出掛けていたのだが、子供も大きくなり奥様も練馬のマンションに越されたのでいつしかご挨拶もしなくなっていた。
もう5年になるというマンションは35階建てのノッポビルの17階だが見晴らしも良く新宿のビルや東京タワー富士山も見える。
 奥様も書道の先生でたくさんのお弟子さんも抱えて忙しそうで今日のアポイントも二転三転してようやく決まったので会社を早引けして出掛けた。
私ももう少し近かったらそのかわいらしい作品のこと書道教室に通ってマスターしたいところ・・・先生も勧めてくれるが、年一度の書展を見てもお金の掛かる趣味だと思っている。
 優雅な物腰の先生は一人暮らしを満喫しているようにお見受けする。
さりげなく豪邸を手放した経緯を話してくださったが、隣の敷地の開発に伴い土地を手放しませんかと持ちかけられたと言う。
建て直すにも、売るにも変な形の土地でお互いの気持ちが一致したらしい。
伺う前は「皆欲しがる土地付住宅を思い切ったわね」と思っていたが聞いてみなくては判らぬものだと納得した。
息子、娘さんもそれぞれに立派に巣立っており何の心配もなく、次から次へかつての教え子たちの訪問を拒むことなく優雅にこなされている先生は私にとっても人生のお手本とすべき大切な人であると思った。

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2006年8月17日(木)
マイナスイオンを出すと言う サンセベリア(虎の尾)

今日で盆休みが終わる。
なんと全く遊びに行かない夏休みも初めてかもしれない・・・
14日の停電に始まり家中の片付けを全て終えなんか短い人生のことなど考えた。
田舎の一軒家なら蔵などに着なくなったコート、読まなくなった本などをずっとしまって置けるのに・・・
せっせと気前よく捨てるのはいいが「後で後悔などしないかな〜」と気が引ける。
夫がずっと使っていた机も今回粗大ゴミに出すことにした。
引き出しには整理の苦手な夫のこと通知表からそろばんや笛まで入ったまま・・・そっくり別の机に入れなおした。
田舎の広い家だったら死ぬまでこのままで「なんでも鑑定団」に出せるような「げーむ」や「おもちゃ」もそのままあったと思う。
思い切ってくれてほんとうによかった。
そして私の「鏡台」も捨てるからと言っていたけど「収まるところに収まりました」と「ずるい〜〜」と言われそうだ・・・ごめん・・・
ホームセンターの花屋さんは必ず足が向いてしまい季節外れの胡蝶蘭なんかが安くなっていないかな〜〜と覗いてしまう。
うろうろしていたらサンセベリア←「マイナスイオンを出す植物」と書かれていい値段が付けられていた。「高いものは我が家の一員にはなれないな」
そう思ってさらに歩いていたらさっき見たサンセベリアの株がどっさりと正に叩き売りのように山積みになっていた。「一株98円?気に入った!!」3株買って、1000円くらいの鉢と室内なので墨のボールを土代わりにしようと買った。
振れ込みどおり我が家にいい空気を振りまいておくれーーー

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2006年8月14日(月)
首都圏大停電!!

お盆休み初日月曜日。夫はテニスの行える場所を求めて遠く川越まで出掛ける準備をしていた。朝食に桃をむいたので残りの3個を冷蔵庫に入れてほっとした途端のことだった。
時間はNHK(BS)の「純情きらり」をやっていたので7:40くらいか・・・。
ご近所の方たちも騒ぎ出したので家だけでは無いことがわかった。
階下を見下ろすと駐車場に車を止めた青年と眼が合った。すかさず「信号も止まっていますか?」と聞けば「コンビにも突然に停電になり信号も消えている」とこの近辺すべてが停電らしい。
あれ?東西線は動いているかしら・・?こんなときは手回しのラジオ・・・なんと我が家には3個もの優れものがあった。
やっぱり急にくるくる回しても音が鳴るまでには至らず、普段から練習しておけばよかったと後悔した。長男が起きてきてケイタイのネットで何やら検索している。
そうこうしている内にTVが付いた。わずか20分くらいだったが、近年に無い停電にテロや震災の恐怖を感じた。

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2006年7月26日(水)
<鶏糞が姿を替えて里便り>

新潟から「新玉葱」と「新じゃが」が届いた。
今日のニュースで聞いたとおり今年は生育期に雨ばかりだったせいで全くダメだそうで「悪いのは捨てて」と言っていた。
全国に居る兄弟や私たちにも一箱ずつ詰め合わせて送ってくれる。それが楽しみだと老骨に鞭を打つ。
夫も「糸魚川の玉葱は甘くて旨い」と喜ぶ。
ちょうどこちらから送った桃も着いたところだった。桃は社長にもらってとてもおいしかったので今年のお中元はこれにしたのだった。
正直な母は「素晴らしい桃が送られてきたよ〜〜。毎年これにしてくれんか〜〜!!」と大喜びだった。何を送っても「あんなモン」と反応が悪かったので、毎年これにしようかと思った。
実家は父母それぞれ1台づつ車を持っているが、母のワゴン車は畑専用のようになっていて先日の帰省の時に乗せてもらったら「ちょうど鶏糞を下ろしたところでいい臭いよ!」と言っていたのがこれに化けたのか・・・
ほんとうに素晴らしいのは鶏糞なのだ。

2006年7月23日(日)
若者「甲」「乙」

昨日のこといつものようにマイカー通勤の私はマンションの駐車場のある1階に下りたところ、正面から若い警察官(私はつい巡査と言ってしまうが・・・)が歩いてきた。
すれ違いざま当然「おはようございます」との掛け合いがあると思った私は顔を見ても知らん顔で通り過ぎようとする警官に朝からムカついてしまい思い切り大きな声で「おはようございます」と言ってしまった。その返事は蚊の無くような小さな声でぼそぼそぼそと・・・車を運転しながら息子と同じ年恰好の青年にもう一言言っておけばよかったと後悔した。
警察官といえば私の認識だと文武両道を兼ね備えており相手を威嚇するくらい鋭い眼光の持ち主で、いわゆる今時の若者とは一緒ではないはず。
そしてそんな折りしも今日は月一の検診日で大学病院の主治医が不在で代理のS先生が診察に当たってくれた。そのことは先月から先生に聞いていて知っていたが代理のS先生は代理であることを私に告げ、過去のカルテを全て読み直して「あ〜〜思い出しました」と私のことも覚えていてくれていたようだ。
先ほどの巡査とは打って変わって、大きな声でテキパキと何役もの任務をこなしていて「やればできるではないか!」と言いたくなった。<BR>
と言うのも土曜日は特に会社勤めの人たちで待合所は簡易イスをいくつも使うくらい込み合って2時間は平気で待たせる。最初のうちは短気な私は「これじゃ別の病気になってしまう」とイライラしたものだが、最近は歳をとったせいか自分ばかりじゃないんだからとあきらめていた。
やっぱり以前にも感じたことだが自分の病院だったら「こんなにお待たせして悪いですね」といった気持ちから、いたわりの言葉も出てくるはず。大きな病院だからとあきらめていた。<BR>
今日のS先生も若いし、組織の中でずっとこのスタイルを持続していくことが出来るのか少々の不安は残るが一患者としては弱者に優しく接してくれることこそ治癒につながると想うのだが・・・。

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2006年7月16日(日)
かわいそうな「金のなる木」

 会社のエアコンをすべて新しいものに取り替えることになりベランダを掃除していたら、風に吹かれてどこかに飛んで行ったと思っていた「金のなる木」が転がっていた。
会社のお隣の家の木から折れて落ちていたものを大切に育てていたのに・・・
その後もうひとつ折れていたそれはかわいらしく育っていて会社の木に金を成らせてくれています。
 あんなに忙しかったもんな〜〜  今月は決算月。利益が前年を大きく上回り来年度収める税金が多くなりそうなので必要なものをいろいろと買うことになり、会社の車やエアコン制服までも新調してくれるという。
ボーナスもいつもより多かったから来期も頑張らなくてはと思うがいつまで出来るか不安もある。体を思いやりながら働いて尚且つ旅行も行かなくっちゃ!!!
 この子が我が家にいいことを持ってきてくれることを祈って植え替えてあげよう。

2006年7月8日(土)
IKEAの買い物は楽しかったが・・・

初めてIKEAに行ってみた。洋介が椅子を買うと言うので一緒に連れて行ってもらった。
いや〜〜楽しかった。今度は一人で行ってみようか・・・だって・・・
いきなり入り口から時間をかけて見ているので時間がいくらあっても足りない感じだ。
 広すぎる店内は順路に沿ってもれなく通るようになっている。これは感心するところだが、お年寄りには少々きついことになる。
モデルの部屋がいくつもいくつもあって特にキッチンは次のリフォームのイメージを抱かせるので楽しかった。
 入り口に置いてある鉛筆とメモ用紙を持って中に進むと全て商品を使っていくつものモデルルームを回ることになる。
そして気に入った商品には「列」「番号」の数字のタグが張り付いていてそれをメモしてどんどん進むと、ちょうど休みたいところで飲み物の自販機がある。そしてどんどん進むと今度はレストランと軽食のコーナーが出てきて時はお昼時。うまく出来ていると感心する。
次は1階に下りて今度は小物のキッチン用品やファブリック用品が山済みのコーナーをくにゃくにゃと歩いていよいよ倉庫のコーナーに突入だ。
倉庫の棚からさっき記入した番号を探し自分でカートに入れてレジまで運ぶ仕組みだ。
なんと巨大な椅子もコンパクトに梱包されていて、宣伝どおりの合理的な流れに納得した。
 北欧の家具屋さんと言うこともあるのか白人の家族連れが多かった。3階以上は駐車場になっているがゆったりとしたスペースに日本人の設計では無いことがわかる。
私はタクシー乗り場のようなコーナーで息子の車を待って大型荷物を載せてカートを横のコーナーに納める。
これも「サティー」ならば車に乗せた後のカートもあっちこっちに置くので、それを集める「係り」が必要になってくるところだ。
とにかく若者に人気の場所に違いないがやっぱり広すぎるので私もジムトレは欠かせないな!
・・・と日記には書いておこう!  (^^)V 

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2006年6月21日(水)
梅雨の晴れ間の額アジサイ

昼休み久々に防災公園に出てみた。
ピンクや水色に色づいたアジサイは切花にする人もなく重く垂れ下がっていている。
最近の疲れ方は若いときと違って強いストレスを感じる。
目を使う仕事のせいもあるのか肩こりがするし、腰やひざも油切れれのエンスト前と言った状態・・・
明日はジムのプールで運動してみよう。
 

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2006年6月16日(金)
ハンドマッサージャーその名は「モミックス」

今日は金曜日 会社から帰ると生協から荷物が届いていた。
一週間前に注文した足揉み機が届いていた。
もっと大きいと思っていたが蓋を開けてすぐに「きっと使えず処分になるかいら」と後悔した。
最近体に水分が溜まってむくみがきていることがあって「どくだみ茶」もよく飲んでいるがなんかいい方法はないものかと考えていた。大型の腰掛タイプは高価だし場所も取るので1万円でおつりが来るので飛びついてしまった。
足のほか枕のようにすれば肩も揉む。なかなかいいじゃん!
 生協は働く主婦には大助かりだ。米、ビールなど重い物はすべて倉庫まで運んで置いて行く。
サプリメント、ジュースも吟味して買い置きできる。・・・ただし買いすぎる事がよくあり長男には止めるように注意を受ける。
またなんか言われるかな・・・

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2006年6月11日(日)
雨のディズニーシー

今日は思いがけずディズニーシーに行くことができた。
はるさんが株主でチケットを持っていたからだ。
私も株でも始めようかな・・・
あいにくの雨の中はるさんのご主人に駅まで送ってもらいシーまではミッキーの電車?に乗って小学生みたいにウキウキして到着したそこは、やはり「夢の街」だった。
世界旅行をしているようないろんな国の体験をして最後は私一人じゃなかなか乗らないジェットコースターに乗ってしまった。
だって私より臆病と思っていたはるさんが「乗る?」と言うので思わず「乗ろうか」と言ってしまった。
やっぱり後悔することになったが・・・人には乗るように勧めよう・・・
ゆっくりガイドブックを「復習」してもう一度出掛けてみようと思う。

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2006年6月4日(日)
サイクリング

今年は忙しくて花歩きもしていないと薔薇を求めて「里見公園まで行ってみることにした。
途中73CMの鯉を釣り上げたおじさんに出会ったり、ローラースケートや凧揚げのおじいさんにも出会った。
思えば男の人ばかりだ。おばちゃん、おばあちゃんはどこかしら・・・我が家のご亭主もテニスに出掛けた・・・か・・・
 薔薇は盛りで川沿いのサイクリングロードから公園への階段(60段あった)を上りきるといい香りで出迎えてくれた。
片道1時間でジムに行くよりずっと楽しかった。ジム・・・止めようかな・・・

2006年6月3日(土)
のんびり土曜出勤!

土曜日が出勤の日は昼食は会社持ちで好きなものを食べることになっている。
今日は近所のラーメン屋でおのおの注文した。途中住宅地では皆競い合って所狭しときれいな花々を飾っている。
 今、年度末の駆け込みマンションの申請も無事に終わりぐっと仕事量が減った。
土曜日は電話もほとんど無くいっそ休みにしてくれてもいいのに・・・
一日しかない休日は掃除をするくらいであっという間に過ぎてしまう。・・・もったいない・・・
明日はサイクリングでバラでも探しに行こうかな・・・

2006年5月28日(日)
PC修復作業完了!

何が原因かわからないまま・・・息子の世話になってようやくHPビルダーや写真のページのバックを取ってもらった。
やっぱりバックは取っておかないと悲しい思いをするので教訓として覚えておこう。
 たぶん今度こそ大丈夫だからやってみようかな。思い返せば変な画像付のいたずらメールが来て困ったのでBBSを止めたところだった。
勝手に土足で入って来るなんておちおち留守も出来ないじゃない。
 仕事もひと段落しそうだし、少し遊んでみようかな・・・

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2006年5月2日(火)
遠くに在りて想うもの

新潟に行ってきた。
今回は気楽にショルダー下げてふらり一人旅である。
元気な両親だが嵐のように皆で押しかけて大変な思いをさせたくなかった。
二泊だったが着いた次の日は好天で汗が噴出した。今年は特に記録的な大雪でスキー場以外にも雪が残っていてゆきの上に桜の花びら落ちている変な風景を見た。
雪が多かったので雪の下で地面に接している所がトンネル状に浮いている景色をあちこちで見た。
帰ってきてから雪崩で死亡事故のニュースを聞いて「やっぱり・・・」と思った。
 「つまらん写真ばっか撮って・・・」 母が言う。
私も新潟に居た時は毎日見ていた風景も久しぶりに外から見てみると「なんだ いい所じゃん」 
母は雪の降らない所がいいと言う・・・ほんとだ・・・寒いのは我慢できないもんな〜〜
畑仕事が大好きな母だが歩く事が前よりも苦手になっていたが山菜を採らせれば急に張り切ると自分で笑っていた。
新幹線を乗り継ぎ4時間、全部開通していればもっと早く行けるはず。
・・・父母は今の歳のままずっとそこに居て欲しい

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2006年4月24日(月)
近所のライラックがきれい!

サティーの隣のマンションの植え込みにピンクの大房のライラックが見事に咲いていた。
香りはジャスミン系のきつい香りがある。見渡せば最近は珍しい植物を育てているお宅が多い。
可愛いミニバラもあちこちにあり、ついレンズを向けたくなる。
もうじき連休が始まる。糸魚川に行ってこよう・・・

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2006年4月28日(金)
今年もきれいに咲いている!